映画的日乗

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「ハンナ・アーレント」監督マルガレーテ・フォン・トロッタ at シネリーブル神戸

モサド・ファイル」(早川書房)に記されていた通りの、イスラエル諜報機関モサドによるアドルフ・アイヒマン捕獲シーンがオープニング。そしてエルサレムでの裁判が始まり、NY在住のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントがその裁判を傍聴する。裁判シーンの記録映像は「スペシャリスト/自覚なき殺戮者」('99)とほぼ一致するフッテージを使っている。もし可能であれば「スペシャリスト」を予習として観てから本作を観るとより鮮明に悪の凡庸、思考停止のもたらす間違いがよく分かる。
戦後15年程度の時代でさえ、学生がフランスのビシー政権のやったことを知らない、という描写がある。全体に丁寧過ぎるくらいにあの時代への説明と登場人物の立ち位置が描かれるのに時間が割かれるのはいたしかたないのかも知れない。ハンナ・アーレントへの憎悪むき出しの批判は「予測されうる」事態なのだが「思考」対「思考停止(=感情論)」は何もこの時代に限らず、常に我々の社会に存在することも想起させる。いわゆるバッシングに流れる風潮は我が国にも頻発するし凡庸な悪など我が国の政治家や官僚にいくらでもいる。
論争に決着をつける為の大学でのアーレントの講義(演説)に溜飲が下がる。が、その後のもうひと押しあったところがこの映画の見所。我々もまたそこから思考せねばならないことを突きつけられる。

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