映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「運び屋」監督クリント・イーストウッド at TOHOシネマズ西宮OS

The Mule Film - ホーム | フェイスブック

 原題のmuleを辞書で引くと、頑固者、または騾馬とある。なるほど荷役としての家畜であった騾馬、そして頑固者という意味は本作の主人公アールそのものだ。更に劇中で退役軍人のパーティでバンドが奏でるポルカとはどこの国が起源かと検索すると案の定チェコポーランドといった東欧が起源のようだ。案の定、というのは「グラン・トリノ」('08)の主人公がポーランド移民。そして「ミリオンダラー・ベイビー」('04)の主人公は娘に送った手紙が受取拒否で返って来たし、「ハートブレイク・リッジ」('86)と「グラン・トリノ」で語られるのは朝鮮戦争。今作のアールは家族を蔑ろにして娘に忌み嫌われる朝鮮戦争の帰還兵。イーストウッドはこうして役柄を地続きにする。ついでに言うと「妻の葬式」も、繰り返し描かれる。

 地続き、であるがキャラクターはこれまでとは違う外面が良くて女好き、家庭を蔑ろにしつつ深刻ではない。こんなに歌を唄い続けるイーストウッド、踊るイーストウッドを初めて見る。更にはラティーノ二人と夜も頑張る。一杯飲んでからまだやる、とベッドに戻るのは最早ギャグ。いや確信犯的ギャグ。笑えよー、誰かツッこめよーだ。

 つまり渾身のサーヴィス、88歳のワシがこんなに頑張ってエンターティンメントやっとる、お前らしっかりせえよ、と。ストーリーはメキシコ麻薬戦争を描く「ボーダーライン」2作とそれこそ地続きなのにこの軽さ。

 堪能した、ラストは見事に映画になっている。新しい撮影監督を迎えていつものような暗さを排したのも明確な狙いだろう。佳作、お勧め。

 

「半世界」監督・阪本順治 at TOHOシネマズ鳳

hansekai.jp  近隣の劇場では早朝8時台と夜中21時台しかやっていないので堺まで観に行く。東京では入っていると聞いたが、堺だけちゃんと昼間に観られるというのは阪本監督の出身地だからか?

 さて、堺よりももっと地方の漁村が舞台の本作。三重県伊勢志摩の記号があちこちに見えるが架空の町という設定であろう、登場人物は全員標準語だ。

 ヒゲの稲垣吾郎の出で立ちに「ディア・ハンター」('78)のデニーロを想起する。元自衛隊員(長谷川博己)の帰郷はショーン・ペン監督「インディアン・ランナー」('91)、中学校の同級生達はリチャード・リンクレイター監督「30年後の同窓会」('18)が脳裏を過る。この三本のアメリカ映画は全てベトナム戦争で受けた心の傷がテーマとしてあった作品だ。先の大戦以来で初めて海外派兵された自衛隊員の心の有り様が描かれる。しかしそれは三人の40歳目前の「普通の男たち」の一人として。

 どこかの異国の戦場が「世界」だった男と、地方都市の山と炭焼き小屋と家の三角形を行き来する男の「世界」はそれぞれが半分であり、相対化しきれない。そのことを船と陸の距離で言い争う二人。また、この町で中古車販売業を父子で営む男(渋川清彦)は

 三人を三角形の関係と言い張る。町に仕方なくとどまるこの男にとって、点である不安は線の結びつきで解消されている。物語はやがて重大な出来事によって半分ずつの世界が相対化し、三角形はかたちを変える。彼らの子の世代はまた別の半世界にいて、それが新しい世界に向けて力強く動き出すラスト、心動いた。傑作、お勧め。

「あの日のオルガン」監督・平松恵美子 at 神戸国際松竹

www.anohi-organ.com  長く山田洋次監督に仕えた平松恵美子監督の第二作は戦時中の疎開保育園の物語。

 私より3歳下の平松監督は当然ながら戦争を知らない。戦時中を知る山田洋次監督の深い怒りを込めた眼差しとは違う、半ば開き直った現代性を纏う。登場人物のハキハキとした物言い、明るいはしゃぎっぷり、時に今の言葉遣いを否定しない。それは「今に伝える」というベクトルによるもので成功している。一方で戦争批判、ムラ社会批判、男性上位の理不尽を声高には叫ばない。保母主任の楓先生(戸田恵梨香)がそれらの圧力に堪え切れなさそうになるとすかさず保育所長の田中直樹が謙って収める。

 この映画の秀逸な部分としてあるのは死の描き方である。もがき苦しんだり、残忍な死や死体の描写は一切なく、疎開保育園に訪ねて来た親たちが子供たちとの再会の時を慈しんだ後、すっぱりと消えていなくなる描き方をしている。死んだということを可視化しないことで不在の無念と戦争の不条理が粟立つ。一方で、男性が出征の為いなくなるということに女性たちが「どうしてですか!?」と二度(ある父兄と保育所長)に渡って詰め寄る描写は疑問。当時の常識からするとそれはあまりに保母達の方の想像力が足りないのではないか。

 玉音放送を使わないあの夏の日の描写が良い。そして「楓先生は私たちを通り越して、ずっと先にあることに対して怒っていたのね」という台詞、決して涙を見せず常に緊張感を態度に示していた彼女、しかし最後の最後に喪失感に襲われたその時、余韻を残すラストに素直に感動した。

 私の映画「ママ、ごはんまだ?」で映画デビューした堀田真由、去年「みとりし」で一緒に仕事をした白石糸、それぞれ難しい役柄を好演。佳作、お勧め。

「すべてが狂ってる」監督・鈴木清順 at シネマヴェーラ渋谷

1960年日活作品。

 鈴木清順監督のフィルモグラフィによると1960年だけで5本の監督作品が封切られている。同年に公開されているのがゴダール勝手にしやがれ」ということでその影響の強い脚本。冒頭に割としっかり撮られている太平洋戦争の激戦、敗走する日本兵、一人の兵士の爆死。それは映画のワンシーンで若者達がつまらなそうな表情で映画館から出て来る、そこは明るい太陽の下の新宿。戦後たった15年でかの戦争の悲惨を忘れたかのように、アメリカナイズされた太平楽な若者を皮肉たっぷりに描く前半。その中の一人川地民夫が異常なマザコン、戦争未亡人の母親の恋人芦田伸介が息子の「誤解」を解こうと付き纏うというヘンテコな展開。川地が盗んだ車の助手席に女を乗せて疾走する新宿、目白。それを走って追いかける芦田伸介が何故か追いついて、更に後部座席に乗り込む不条理に清順節の萌芽が。当時新人の吉永小百合と遊園地でデートしている川地の同級生、何故か川地と二人で観覧車に。小百合嬢何処へ?意味のないキャスティングへの清順監督の抗議か?いやただ面倒臭くなっただけか?プログラムピクチャー量産時代を象徴する一本。

 

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「恐怖の報酬 」【オリジナル完全版】監督ウィリアム・フリードキン at 宝塚シネ・ピピア

www.imdb.com  フリードキンの持ち味は過剰さハッタリだ。先ごろネットフリックスで彼の最新作「悪魔とアモルト神父」('17)を観たがドキュメンタリーの体裁を取りながらまるで抑え切れないサガのように音声とカラーをいじって自身の「エクソシスト」('73)に繋げてしまうという過剰とハッタリが裏目に出ていた。

 さて、本作の最初の公開バージョンを1977年に神戸国際松竹で観ている私は、41年ぶりに宝塚の売布で再会を果たす。今回はオリジナル完全版、4Kデジタルリマスターだという。ここでは過剰とハッタリが良い塩梅となっており、お尋ね者、食い詰め者が高額報酬と引き換えに南米某国の油田火災を鎮火するべくニトログリセリンを運ぶ、という単純なストーリーを波乱万丈に描く。冒頭の殺し屋登場、これがのちにイスラエルに雇われた男とわかり、続いてイスラエルでの爆弾テロ、犯人はパレスチナゲリラ、この二人が「仕事」を通じて出会うという辺りは'70年代という時代を感じさせる。第4次中東戦争は1973年か。

 コッポラが「ゴッドファーザー」2作の成功で地位と資産を得て「地獄の黙示録」('79)にのめり込んで行った時期とフリードキンが「エクソシスト」「フレンチ・コネクション」('71)で「恐怖の報酬」に突き進んだ時期は重なる。恐らくはフリードキンがコッポラを横目に見ていたんだろうなぁ、アジアのジャングルのコッポラと南米のジャングルのフリードキン。コッポラの芸術家的苦悩に対して、フリードキンにはやはりハッタリ感が付き纏うが、それでも黒澤的豪雨の中でのあの吊り橋渡りは映画史に残る名シーンだろう。CGなし、勢いのよい炎と黒煙は'70年代のニューシネマ映画作家の時代を燃やし尽くした。タンジェリン・ドリームのサントラはエヴァーグリーンな名作。フリードキンの劇伴音楽の選定は天才的。佳作、お勧め。

「洗骨」監督・照屋年之 at 109シネマズHAT神戸

senkotsu-movie.com  洗骨、検索してみると現代では殆ど行われていない風習のようである。人が死ぬと火葬せずに風葬(映画では遺体が洞窟の中に納められていた)し、4年後それを取り出して洗う、というもの。死者との再会でもあり成仏の意味もあるのかも知れない。さて、沖縄諸島粟国島のある家族の若い母親(筒井真理子)が亡くなるところから映画は始まり、その葬儀に息子や娘が帰郷する。息子(筒井道隆)は一見東京で成功しているように見える、その妹(水崎綾女)は名古屋で美容師をしているが臨月が近い体で現れる。この、妊娠していることを観客に知らせる見せ方が巧いので、やや居住まいを直して映画に入って行く。古い家長のようなことを言って妹をなじる兄だが、二人の父親である信綱(奥田瑛二)は職もなく酒を呑むだけの男。不満をぶちまけるでなくだらりだらりと生きている。この信綱の姉(大島蓉子)がしっかり者でなんとかこの一家を支えているように見える。家父長制を重んじ、その延長としての儀式たる洗骨なのだが、ここではそれが崩壊している。

 人物の会話や動きの結末に必ずオチが設けられているところが照屋監督らしいがところどころさほどウケる訳でもなく、また理想的な母像が強調されている点も気にはなるが、いざ洗骨の儀式に入るあたりからこの映画は俄然熱を帯びて神々しいばかりに輝く。あれほどだらしなかった奥田瑛二が粛々と儀式を進めて行く。ネタバレになるので詳しくは書かないが、大島蓉子(名演!)は涅槃の菩薩となり、エンディングは「2001年宇宙の旅」('68)だ。家父長制度の復古ではなく、女性が繋ぐ未来の家族のかたちをキラキラと美しい海の波光が照らし、素直に心動いた。佳作、お勧め。

 

「マイル22」監督ピーター・バーグ at 109シネマズHAT神戸

www.instagram.com  クロサワ=ミフネコンビ並みに連作されるピーター・バーグ=マーク・ウォールバーグコンビ作。IMDbでピーター・バーグを検索してみるとプロデューサー、監督、脚本ともの凄く精力的に仕事している。さて今作、中国資本が入っていてそのせいかどうかクンフーアクションも盛りだくさん。アジア某国で忽然と消えた大量のセシウムの在り処を探すCIA地下組織。非合法活動が認められる代わりに失敗した時は米国政府は一切知らぬ存ぜぬという契約を結ばされている。そりゃ裏設定としてはもの凄く高額のギャラが保証されているから、なんだろうけど子供と過ごす時間がないと泣き言を言う女性隊員はんーなんだかな、だ。

 ウォールバーグ扮するシルバ氏はのべつまくなし怒鳴り散らしているファナティックぶりが新味。神経過敏な分、仕事に邁進する姿勢がブレない。時折挟まれる謎のロシア女性のカットが伏線になっており、ネタバレするのでその意味はここには書かないが冷徹なハイテク戦争に、先の家庭に帰りたい女隊員も合わせて何故か「女の情念」が勝ってしまうという皮肉。銃撃戦の巨匠マイケル・マン監督に挑む監督は時々いるけど、バーグ監督も意識してるだろうね、多分。お腹いっぱいなガンアクションです。これだけ「自由」に市街地でぶっ放したり爆破できるロケ地ってどこなのだろう、とエンドクレジットを楽しみにしていたらコロンビアのボゴタだった。

 ラストがビターなのが良い、続編を匂わせているが、この日昼間の劇場客3人、大丈夫か?