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「6月0日 アイヒマンが処刑された日」監督ジェイク・パルトロウ at シネリーブル神戸

9/8(金)公開『6月0日 アイヒマンが処刑された日』公式サイト

 

 監督のジェイク・パルトロウはグゥイネス・パルトロウの弟とのこと。

さて、アドルフ・アイヒマンについては数多くの作品で取り扱われている。中でもドキュメンタリー「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」('99)とかの「凡庸な悪」という言葉の起源となった「ハンナ・アーレント」(2013)は有名。

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 本作「6月0日」はモサドによって捕らわれたアイヒマンイスラエル移送後が描かれているが、その直前までが描かれているのがNetflixの「オペレーション・フィナーレ」(2018)。

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これは本作を観る予習には最適な作品。

 さて、1961年のイスラエル、ある板金工場から物語は始まる。フィルム撮影(16㎜とのこと)が時代の空気を上手く伝えている。

 アイヒマン処刑後、火葬の習慣がないユダヤ教に於いて遺体の火葬をどうするか、工場長ゼブコ(ツァヒ・グラッド)に当局から相談が持ちかけられる。折しもリビア移民の少年ダヴィッド(ノアム・オヴァディア)をアルバイトで雇い入れたばかり。このダヴィッドがはしこく大人の周りを立ち回り火葬用焼却炉の製造に携わる事となる。

一方、当局側は死刑判決の後アイヒマンが自殺したり又第三者の手で殺されたりする事態を断じて防がなければならない。その担当となったのがハイム(ヨアブ・レビ)という警官。アイヒマンが散髪を所望しハイムは理髪師を迎え入れるが「東欧系ユダヤ人は駄目だ」。親族がナチに殺されている可能性が高いので復讐するかも知れないから。理髪師はハサミも剃刀も持っている、首に剃刀を当てる事も出来る。散髪の様子を監視する神経戦。やがて処刑される男が殺されないように見張るというシニカル。

 工場長ゼブコが柔道でダヴィッドを締め上げる。その腕っ節と言動からイスラエル建国当時の闘士であることがうかがえる。この時代のイスラエル人のある種の典型としてもう一人、ポーランドでのジェノサイドの生き証人が登場する。

その男ミハ(トム・ハジ)はモサドの一員であり、ユダヤ人迫害の歴史の語り部でもある。この彼の滔々と語る言葉が重い。「人間はいつかは忘れる」。戦後15年程度の時代でさえワルシャワ・ゲットーでの迫害の話を信じようとしない人がいると。

 アイヒマン処刑の事後を遠目に捉えるキャメラが秀逸。そしてその場にいるハイム、ミハの表情には達成感がある訳ではない。歴史の瞬間に立ち会った静かなる慄きが見事だ。

 さて、この映画ラストにはオチがある。そしてそのオチもまた強烈にシニカルである。「焼却炉建造の証拠がないからwikiに載せられない」という言葉、いつかジェノサイドの記憶そのものもそんな言葉にかき消されやしないか、私はそう受け取った。