映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「イノセンツ」監督エスキル・フォクト at 大阪ステーションシネマ

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 ノルウェーデンマークフィンランドスウェーデンの北欧四カ国の会社が出資。監督はノルウェー人だがロケーションはどこなのか判然としない。

 ある団地に四人家族が引っ越して来るところから物語は始まる。その引越し先へと向かう車で不機嫌そうな少女イーダの顔に被さるアー、ウーという不規則な声。もうそれだけで不穏なムードを醸し出している。アー、ウーの声の主は少女の姉アンナ。何らかの障碍があるようだ。のちに母親が「自閉症」だと語る。

 イーダは早速団地の周りを探索、林の中でインドかパキスタン系の少年ベンと出会う。不思議な力を発揮するベン。一方、団地にはアイシャという顔に白斑のある、母子家庭の子が窓外を見つめている。イスラム系のようだ。

 ことほど左様にこの団地は移民家庭が多く住んでいる。イーダとアンナの両親は経済的な理由で引っ越してきたのだと想像できる。

 アイシャは、自閉症故に言葉を発さない筈のアンナとテレパシーなのか、意思疎通が出来る。

やがてベンは自分の持つ不思議な力を邪悪な欲求を満たす為に使うようになる。

 子供というのは行動倫理が未確定なものだ。時にひどく残酷である。ここでは彼等はテレパシーで結びつき、ポジティヴな方向には向かわない。ベンの行動は我が国のあの事件の犯人を思い起こさせる。

夢ある子供達など一人もいない。

移民の子供達の親はシングルマザーだったり、ベンに至っては親が居るのか居ないのかも分からない。その孤独が邪悪な観念へと反転する。

無味乾燥な団地の風景、環境にこの物語を裏付ける説得力があり、現代ヨーロッパ社会の問題をも内包しているように見える。反ディズニー的な北欧系ダークネスの面目躍如だ。スウェーデン映画「ぼくのエリ 200歳の少女」(2008)を思い出す。また邪悪な観念が伝播するのは黒沢清の「CURE」('97)にもあった。

 団地の周りで殺人事件が続き、大人達は警戒を強めるも誰も子供達のテレパシーに気がつかない。そして事態は悪化する中、イーダとアンナ姉妹の「最後の戦い」が始まる。

 予測不能の展開、観る者の緊張感を切れさせない画面の隅々に仕掛けられた演出。イーダの母親が包丁を持った時の「予兆」の怖さは見事だ。堪えてはいたが一箇所だけ「わぁっ」と声を上げてしまった。劇場内は飲み物やポップコーンをぶちまけてしまう音が同時多発。

 コケ脅し無し、静かな恐怖が視覚と聴覚にキリキリ迫る、鳥肌が立つほどの見事なホラー。佳作、お勧め。