映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」監督ジョー・ライト at シネリーブル神戸

www.focusfeatures.com

 邦題にヒトラーと入れると客が入るらしい。我々は配給会社によってその程度に見下げられている訳である。原題はDarkest Hour。夜明け前が一番暗い、と言う意味か。

 英国の夜明け前、それは米軍が参戦する前の1940年前後の対独ヨーロッパ戦線。国家元首としてその指揮を執ったチャーチルを描く。ユダヤ人がホロコーストの時代に拘り続けるのは自明だが、英国人もまたあの時代、ダンケルクからの撤退に拘るのだろう、クリストファー・ノーラン監督「ダンケルク」('17)が戦争の現場だとすれば、本作は同時期の戦争の会議室を描く。また「英国王のスピーチ」('10)のエンディング、あのジョージ6世のスピーチの後を描いているとも言える。

 最近の英国映画の共通点は製作費の圧縮が画面に出てしまっていること。勿論、貧困の極みである我が国の映画製作費に比べれば格段に上だが、本作でも戦争そのものの描写を最小限にし、節目節目のチャーチルの演説とその心境の変遷にドラマを絞っている。そのせいで画面転換に乏しく、ひたすらに地下作戦室での描写が続くのはいかなコストのせいとはいえメリハリを欠く。苦心惨憺しているライティングに英国映画人の職人魂すら感じてしまう。それを補って余りあるのはやはり英国の俳優は世界一だと再認識できる歴史上の人物のなりきりぶりだ。チャーチル役のゲイリー・オールドマンは言うに及ばず夫人役のクリスティン・スコット・トーマスチェンバレン前首相役のロナルド・ピックアップが良い。

 とまれ、EU脱退後の現代の英国への愛情と懐古が入り混じった叱咤激励、とも受け取られる大演説大会であった。それにしてももの凄い酒飲みだったんだな。


Winston Churchill Biography: In the Darkest Hour

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」監督スティーブン・スピルバーグ at TOHOシネマズ梅田

www.foxmovies.com  もしこれからこの作品を観ようとしている人でアラン・J・パクラ監督「大統領の陰謀」('76)を観ていないという方は、必ず観た方が良い。世代の若い方は観ていないとわからないとさえ断言できる。

 この映画は「大統領の陰謀」の壮大なる前説である。そして敢えてあのようなラストへと導いたスピルバーグの「映画の国の住人」としての常識に鳥肌が立つほど感動した。これは個人的に長く映画を観て来て、そしてスピルバーグ映画を観て来て良かったと思う感動でもある。

 ここぞという時の人物の顔へのトラックアップ、急ぐ人の前に立ち塞がる何か(ここでは車)、円形の穴、もしくは円形に縁取られた歪んだ映像(ここでは公衆電話)、水たまりを跳ねてしまう足。それらいつものスピルバーグ印が嬉しい。そしてトム・ハンクス演じるワシントン・ポスト編集長ベン(「大統領の陰謀」ではジェーソン・ロバーズ)と社主ケイ(メリル・ストリープ)の単なる資本家と現場の対立関係ではない絆。最終的に友情に帰結するのはスピルバーグの永遠の願いでもあろう。

 アメリカ映画がまだ信じるに足るクオリティが保っていることに、スピルバーグは最大限の貢献をしていると言える。

 佳きアメリカ映画で育った私達、映画を愛する者、必見の傑作。


All the President's Men - Original Theatrical Trailer

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「ハッピーエンド」監督ミヒャエル・ハネケ at シネリーブル神戸

HAPPY END || A Sony Pictures Classics Release

 予告編を観た時に即座に想起したのは日本のこの事件。案の定ハネケ監督はこの事件をヒントにして脚本を書いたことを認めている。なので、前作「愛、アムール」('13)を善なるハネケとしたら今作はワルい方のハネケだろうと想像していたら、観ているうちに「愛、アムール」の延長線上にあることが分かる。それは両作に登場するジャン=ルイ・トランティニャン演じる老人の行動だ。そしてこの底意地の悪いタイトルは決して内容と相反している訳ではなく、死を望むその老人の想念でもあるのだ。いやもう脱帽と言うしかないラストのパーティの顛末の意地の悪さ。登場人物全てに共通する「愛しているふり即ち自分勝手」。それは本質的な愛とは何かを描こうとした前作と深いところで繋がっている。

デジタル撮影に自覚的なルックはイーストウッドの近作と同じだ。老境の筈のハネケとイーストウッドが実は題材もつくり方も先鋭であることに刮目しなければならない。

傑作。お勧め。

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「シェイプ・オブ・ウォーター」監督ギシェルモ・デル・トロ at シネリーブル神戸

https://www.facebook.com/theshapeofwater/

 映画途中でキューバ危機のニュースがラジオから流れるから1962年の設定か。つまりこの時代前後のアメリカ映画を中心としたカルチャーを愛でるかのようにギシェルモ・デル・トロ監督の徹底して好きなもの、好きなことを描いている。

 嘗て、キャンペーンで東京を訪れたデル・トロ監督が「デブのオタクには天国だ」とテレビで語っていたのを思い出す、疎外感やコンプレックスを抱えた、それでいて好きなことを譲らず生きている登場人物達。聾唖、ゲイ、黒人(差別)。そして人間でも魚でもない、囚われた半魚人。敵役の宇宙センターの役人でさえ、朝鮮戦争時代の失敗を上司に持ち出されて苦悩している。そんな彼らの相互補助、助け合いと思いやり。大嘘のファンタジーでしか包括し得なかった、この健気さに心震える。

 繊細な芸術を傷つける映倫の相変わらずなマスキングには反吐が出る思いだ。現職総理がこの醜悪な国の醜悪な刑法175条を撤廃してくれたら私は即座に支持に転じても良いくらいだ。とまれ、佳作、お勧め。

「15時17分、パリ行き」監督クリント・イーストウッド at 109シネマズHAT神戸

https://www.facebook.com/1517toparis/?pnref=story

 実際にあった列車内テロ事件を、犯人捕獲に成功したアメリカ兵三人を中心に描く。その三人を本人が演じるというのは果たして暴挙なのか実験なのか。チャレンジャーとしてのイーストウッドの実験が、単にキャスティングだけではないという点に感心し、あらためて畏敬してしまう。

 まず、前作「ハドソン川の奇跡」からフィルム撮影ではなくデジタル撮影を採用している点で極めて自覚的であるそのルック。フィルムのような質感に近づける、のではなく、あくまで臨場感を高めることに特化しているのだ。本編でローマやベネチアの典型的な観光名所を二人の米兵が見て回るシーンにあっ、となったのは本物の観光客の中に彼等を紛れ込ませている点だ。従来の商業映画の、それもハリウッド製の映画のセオリーとしては全てエキストラを仕込む。そうしないと一般の観光客が撮影クルーを無視してくれる筈がないからだ。恐らく自然光による撮影、つまりライト無し、気づかれないような小型のDVでのロケだろう。想像だが現場にイーストウッド監督はおらず(見つかったら大変だろう)、遠隔でモニターチェックしていたのではないか。低予算の我々の日本映画なら特段珍しくはないやり方だが、このリアリズムの徹底は驚かざるを得ない。

 米兵達の台詞も気の利いた事を言う訳ではない。人を助けたい、と言うが部屋に貼ってある映画のポスターは「フルメタル・ジャケット」に「硫黄島からの手紙」でエアガンのサバイバルゲームに興じていたところをみると平凡なミリタリーオタク丸出しだ。ありのままの人物像なのだが、従来のイーストウッド作品に通底するキリスト教の教義への懐疑と、それに相反する深い信仰との揺れ、がまたしても登場するに至ってそこは引かない、むしろ足してあまりあるのだな、と感心。

イーストウッド的なるものを刻印しつつ、誰も挑まなかった方法論で観るものを惑わす。流石。

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「あなたの旅立ち、綴ります」監督マーク・ペリントン at シネリーブル神戸

www.bleeckerstreetmedia.com  身も蓋もない邦題、原題はThe Last Wordでこのタイトルは映画のラストで効いてくる。

 シャーリー・マクレーン、御年83歳。来月で84。

スクリーンで見る限り溌剌、元気そうだが彼女の終活がこの映画のストーリー。嘗ては広告代理店のオーナーだったハリエット(マクレーン)、取引きのあった地元新聞社の訃報担当記者に「生きているうちに」自分を取材させ、立派な訃報記事を書いて欲しいと半ば強引に取材させる。面白いのはハリエットが神経質且つ有能、それ故思ったことを言い放ち、思った通りに行動する。衝突や摩擦を恐れない。それ故に会社を追われる。一方取材する側の記者アン(アマンダ・サイフリッド)は防戦一方。二人のダイアログは良く練られているのだが、脚本は要所で弱い。いくら地方のコミュニティFMとはいえあんなに簡単には採用されないだろう、雇う方のキャラクター設定も安易。生きているうちに夢を叶える、のは結構だが現実の壁は有る筈だ。この映画の裏テーマであるアナログの「空間にある余白や遊び」がデジタルには無いことの世知辛さ、をもう少し効かす方法はあったと思う。あの9歳の賢い子も学校どうすんだ?

広告代理店への復讐もカタルシスには至らないと感じた。