映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「ゆれる」監督・西川美和 at シネカノン神戸

颯爽と登場するオダギリジョー松田優作に見えて仕方がない、古いアメリカ車に乗り、音楽もカットも'80東映セントラル風だ。しかし、そんな調子で進む映画ではなかった。
兄である香川照之は生家で家業を継いで、横暴な父親をなだめ、亡母の法要を仕切る。周囲に気を遣い過ぎる様は、いつかはその神経線が切れてしまうことを充分予感させる。
家業はガソリンスタンドの経営。そこで働く女、真木よう子、うつろな表情、荒れた肌もまた何かの始まりを予感させる。そこへ弟・オダギリの車が滑り込む。何かが始まる。その瞬間を西川監督はフロントガラスに触れようとして間に合わない女の手で表現した。ただもんじゃないなともう胸騒ぎがした、そして「事件」へとなだれ込む巧さは、変な言い方だが、「うま過ぎて」吃驚だ。
事件後音楽は東映セントラル調から一転し、画面のトーンもワンシーン・ワンカットを多用した芝居中心に切り替わる。その鮮やかなこと。蟹江敬三・弁護士という、下手をすれば画面全体を「死ぬほどみているいつもの邦画ドラマ」に引き戻してしまいかねない配役に、木村祐一・検事という暴投のような配役で中和する按配。監督が自身のやりたいことに技術が追いついているから、その化学反応は効を奏している。両者共ウスラ笑いの表情が絶妙だ。そして香川のほれぼれするほどの巧さ、オダギリの計算、新井浩文の視線、見事に物語と映像空間の結実に奉仕している。が、一点、観終わって澱が残るのは、真木よう子の災いの主としての存在感の希薄さだ。彼女は何だったのか。ここだけ「やりたいこと」の埒外だったとしたら、なかなか底意地がお悪いお方とみた。そういえば前作「蛇イチゴ」('02)がそうだった、女性への愛の希薄は一貫している。とまれ、日本映画では今年随一の傑作、お勧め。