映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「悪人」 監督・李相日 at 東宝関西支社試写室

吉田修一の同名小説の映画化。
脚本も兼任(李監督と共同)。原作は未読。キネマ旬報9月上旬号によると、いくつかのエピソード、キャラクターが原作と異なるとのこと。しかし原作者が脚本を兼任していることから大筋の設定に変化はないと推測する。
舞台は北九州、福岡、長崎、佐賀と九州各地で同時に進行する。殺人犯、被害者、犯人の親族、被害者の親族。そして犯人・祐一(妻夫木聡=福岡県出身だ)と出会い系サイトで知り合い逃避行を共にする光代(深津絵里)が主軸となる。
開巻、博多の餃子屋で会話するOL3人。男の話しを自慢するひと際美人の佳乃(満島ひかり)に、男関係の疑念を投げかける友達(韓英恵)に対してほんの一瞬に示す佳乃の邪悪な眼差し。
無口でおどおどした祐一の孤独な眼差し。
虚空を彷徨うような、焦点の定まらない祐一の祖母(樹木希林)の眼差し。
九州地方の各地に棲む極めて平凡且つ無名性に埋もれている人々の顔をこれでもかとアップで捉えるキャメラ。が、その表情は無名性に相反して陰翳に富む。これは眼差しと顔の映画である。この眼のその奥には邪悪と善が振り子のように揺れている。殺される佳乃の同情し難い浅はかさ、今風丸出しの思慮の足らなさは犯人に疑われる大学生(岡田将生)もさほど変わらない。善でもなく悪でもない彼らが、犯人祐一にとっては(一瞬だが)邪悪な存在であり、被害者の父(柄本明)にとっては殺したいほどの存在となる。
この映画で唯一、無知故の無垢を纏っている光代の台詞「国道を行ったり来たりしているだけの人生」は、ここに登場する全ての登場人物に当てはまり、そのまるで高い壁に囲まれているかのような閉塞感が各々実によく描かれている。それはこの国の人間が置かれている現状そのもののようでもある。メールだろうがインターネットだろうが携帯電話だろうが眼に見えない電波と通信だけが広い世界を駆け巡っているだけで、一人一人の人間の心を囲む壁はむしろ厚く高くなってしまっているかのようだ。
ラスト近く、深津絵里がもの凄い顔の表情を見せる。それはこれまでの彼女のどんな映画でも見たことのない表情だった。李監督の力技に敬服する。
9月11日公開。


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