映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「ぼくのエリ 200歳の少女」監督トーマス・アルフレッドソン at テアトル梅田

スウェーデンストックホルム郊外の町。
さほど裕福には見えないアパート。凍てつく真冬の夜、ナイフを弄ぶ少年オスカー(カーレ・ヘーデブラント)は少女エリ(リーナ・レアンディション)と出会う。母子家庭のオスカーはいじめられっ子で学校でも孤独だ。一方、エリの「パパ」と呼ばれる男は、深夜アパートを出て、森に入る。道行く人に催眠ガスを嗅がせて木に逆さ吊りにし、血を抜くという猟奇的殺人を行う。その血は、エリの為のものだった。血を飲まないと(吸わないと)生きられないエリ。いじめられるオスカーにエリは勇気を与え、オスカーは彼女に愛を告白する。エリは自分がヴァンパイアであることで逡巡するが、二人の愛は深まって行く。ある時「パパ」は血の搾取に失敗、自分の顔に塩酸をかけて身元を隠すが、最後にはエリに血を与えて果てる。やがてオスカーもエリも小さな村社会で追いつめられて行く…というお話し。
ブレジネフ書記長が云々、というラジオの音声が流れるから1970年代後半から'80年代にかけての頃だろうか。実に寒々とした風景は少年の孤独を深めるには充分過ぎる一方で、極めてリリカルだ。エリの出自は謎であり、所謂ドラキュラ伝説とは無縁で、どこかジプシー、ロマ族的な印象。アルフレッドソン監督はヴァンパイアの定義を伏線的に示さない。従って彼女に咬みつかれたある女性の行く末(ネタバレになるのでここでは伏せておく)の突発的な現象は観る者の度肝を抜く。
いじめる少年もその子分も、そしてオスカーも皆暗い目つき、周りの大人達もおよそ勤勉さや実直さを示さないどんよりとした人々だ。そこには明るい希望を感じさせる描写は一切なく、血を求め続けるエリもまた孤独と悲しみを常に身に纏っている。が、しかし画面の中でしんしんと降り積もる雪のようにこの強靭な寓話が身にしみるのは「献身」の美しさがそこにあるからである。
ラスト10分、究極の献身的救済の描写は衝撃であり、繊細で精緻な演出は見事。
佳作、お勧め。



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