本作でも北朝鮮の現体制と比較されるナチス・ドイツの強制収容所は当時の欧米諸国に早くからその存在を知らされていたにも拘らず、結局ナチスが瓦解するまで連合軍による解放はなかった。
北朝鮮もまた悍ましい人権侵害が世界の周知となっているのに外圧は未だ効果を上げていない。あまつさえ隣国は体制維持に「協力」している事が本作でも良くわかる。
ありていに言えば北朝鮮を除く全世界がこの人権侵害を傍観しているに過ぎないのだ。
アメリカもロシアも韓国も日本という国家も、そして私という個人も彼等の武力解放(しかないだろう)に加担するとして、その費用(労力)対効果が合わない。
それに相反してこの映画が驚異的なのは製作者と、そして脱北家族の逃避行を導く牧師が傍観者ではない点である。牧師の妻がかつての脱北者であることも画期的だ。
二つの北朝鮮の家族。ネタバレを承知で言えば、いや、途中から観客は薄々感じてしまうが、一つの家族は脱北を果たし、もう一つの家族は失敗してしまう。
その成功した方の家族の過酷な道行にキャメラは徹底して付き添う。
ベトナムの奥地での山越えなどドキュメンタリーの歴史上でも最も過酷な撮影であった筈だ。
ラオスまで辿り着いた家族の最長老たる祖母の、骨の髄まで染みた洗脳教育と公の場では決して本音を吐かない処世術がキャメラによって捉えられる。
既に洗脳が解けている息子の嫁がどんなに耳元で「嘘でしょ」と囁いても、曖昧な表情で金正恩を讃える。
咄嗟に平島筆子の事件を思い出す。
対話、などと綺麗事で進展があるはずもない。外圧か自壊か、だ。この映画は傍観者たる私たちを撃つ。