英語タイトルは「Broker」。
是枝作品は所々未見のものがあり、前作「真実」(2019)も見逃している。
それでもこの監督が「家族ならざる家族」というか、かつて小津や山田洋次が描いて来た血縁のみによる家族像から離れて行く過程がそのキャリアから読めて来る。「歩いても歩いても」(2008)での樹木希林演じる母親像は、是枝監督から見る自身の愛しき母親へのオマージュだと見たが、それを例外として彼の描く「子を持つ母」は濃厚な血縁から遠のいて行く。
資本もロケ地も韓国で撮られた本作、悲しいかな日本では出来ない余裕ある撮影を実現している。借りられるロケ地の制限が多過ぎて窮屈な日本と違い、実にゆったりと広々とした画角で風景の中の人物を捉えている。思えば「万引き家族」(2018)の家屋のロケセットは撮るには狭過ぎる。今村昌平ならセットの壁をぶち破っていただろう。
新生児ブローカーの人身売買を追う刑事(ぺ・ドゥナ)が張り込み中に夫なのか彼氏なのか、はたまた元カレなのか分からない男(それはラストに分かるのだが)に電話をするシーン、カーステレオから流れるエイミー・マンの「Wise Up」を電話を通じて男に聴かせる。「この映画一緒に観たね」。これ、やりたかったんだろうなぁ是枝監督。この映画はP.T.アンダーソンの傑作「マグノリア」('99)。そう言えばこの映画も「家族ならざる家族」ばかりが登場する。娘に嫌われている父親、一所懸命に父の為に頑張る少年、今際の際で長年会っていない息子に会いたがる老人‥‥。
本作「ベイビー・ブローカー」で最も心が動いたのはこのシーンたった。
あの映画のようにぺ・ドゥナの乗っている車にカエルが落ちてきたらどうしよう、と思ったが賢明なる是枝監督はそんな事はしない。またこれも日本映画ではプロデューサーが「絶対やめてくれ」というシーンだろう。楽曲使用料を払いたくない為に。
子を巡る家族のかたちは現代に於いて最早宗教的倫理から乖離している。観ている間にベン・アフレックの「ゴーン・ベイビー・ゴーン」(2007)を思い出した。ネグレクト家庭の子供を誘拐する組織、それは売買の為ではなく愛情を持って子供を育てる為だったという話しである。
さて、「望まれない出産」についての何か結論を得るという展開にはならない。
先のぺ・ドゥナ演じる刑事も、子を安易に売ろうとする女に対して「何故産むんだ」と義憤を語っていたが、状況を知るにつれ(それの手段が盗聴というのが秀逸)心境が変化して行く。とはいえ何が正しいか、というかたちは示されない。是枝監督が考えに考えた末である事は自明だが、母が子を育てるという形骸を越え、産まれた子供は皆「そばにいる人々が育てる」という救いへの昇華には素直に拍手したい。