IMAXレーザーでの鑑賞。
「ナポレオン」の映画化といえばスタンリー・キューブリックの果たせなかった夢。
さて21世紀、Apple TVの巨額の制作費を得て完成させたのは英国人リドリー・スコット。
キューブリックが「バリー・リンドン」('75)で腐心した蝋燭の灯りだけで描く中世の世界をデジタルの時代、ここに見事再現した。
18世紀から19世紀のフランス史をナポレオンの登場と共に駆け足でさらって行く。
映画冒頭、断頭台に上るマリー・アントワネットのヘアスタイルはイマ風で、リドリー・スコットは史実的リアリズムを捨て、分かり易さに徹している。また後ほど出て来るロシア皇帝もマンガのような美青年である。
言語も仏語ではなく英語、英国人もロシア人も英語、しかも時代に即した言葉ではなく現代的な分かり易い英語。また誰も煙草を吸わない。
私の中世フランス史の知識は映画から知る程度なので本作の流れはとても分かり易い。
↓この人は本作では端折られていたが。
戦争スペクタクルとしての画面造形は音響と共に度肝を抜く迫力である一方、ここで描かれるナポレオンは戦争の知略には富むが特に人心を掴む徳のある人間として描かれない。演じるホアキン・フェニックスもいつにも増して感情が掴まれにくい強面で押し通す。交尾に徹するような性行為も奇妙だ。感情移入を拒んでいる人物造形。
軍人として出世するという事はただその功績のみによるのだろうか。人間臭い人事は描かれない。そしてこのファナティックな戦争プロフェッショナルの落日も、ただ敗軍の将へのペナルティとして淡々と描かれる。
エンドロール前に数字で説明される夥しい数の戦死者。
リドリー・スコットはこの戦争に取り憑かれた空疎な男によって死ななければならなかった何十万の兵を血みどろに描き、現代もなお続く領土を巡る戦争へのアンチテーゼとしてその数字を示したか。
2時間40分、歴史の勉強としては有意義。
本編クライマックスのワーテルローの戦いで「ワーテルロー」('70)観てなかったなと気づかされた。観よう。