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「YOKOSUKA 1953」監督・木川剛志 at シネ・ヌーヴォ

 

Yokosuka1953 | a documentary

 

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 「木川」という名前だけを頼りに米国在住の「木川洋子さん」の娘からSNSを通じて和歌山大学の木川剛志教授宛にメッセージ届く。

 そこから木川剛志教授こと木川監督が木川洋子さんことバーバラ・マウントキャッスルさんと、その母親信子さんを巡る「ある女の人生」を辿る事になる。

 ドキュメンタリーだがそのまま脚本に起こして劇映画に出来るほど、劇的な旅の物語でもある。

 木川監督、失礼ながら映画の制作経験が無い学問のプロパーだと思って観ていたが、観賞後検索してプロフィールをみると何本も映像作品を作られていることを知る。ということはこの作品は木川洋子さんの娘さんがたまたま送ったメッセージが映像作家だったという偶然が生んだ奇跡の賜物なのだ。

 来日した洋子さんが、横須賀で母信子さんを知る94歳の同級生と会って話しをする場面がある。この同級生が洋子さんに対してブロークンな英語で会話をするところで私ははっと息を呑んだ。

あくまで私の想像だが、戦後間もなくの横須賀で不慮の妊娠と出産、それ故に家を出てキャバレーで米兵相手の仕事をせざるを得なかった信子さんと、この同級生は同じような境遇にいて、同じような体験をしたのではないか、と。

そしてかたや子供を捨て故郷を後にしなければならなかった信子さん、かたや地元横須賀で家族と余生を送っている彼女の同級生。この二人を分けた「紙一重」の運命の別れ道があったのでは無いかと。

 散髪屋の娘として普通に暮らしていた女性が日本の敗戦によって辿る過酷な運命、恐らくそれは「彼女のある日の出来事」によって定められてしまったのであろう。

その一日の出来事によって、彼女の娘が養子縁組で海の向こう、戦勝国アメリカに渡り(渡らされ、か)その後の艱難辛苦へと綿々と繋がって行く。

 洋子さんことバーバラさんが語る米国での差別と養父の仕打ちは、1950年代に喧伝されていた自由と平等、キリスト教の博愛主義の国アメリカとは正反対である一方、ある女性検事によって彼女が救われる過程もまたアメリカなのだと思う。

 劇映画の脚本の構成ならクライマックスに相当する後半で起きる奇跡には感動を禁じ得ない。

 上映後のゲストトークで「神」という言葉が何度か出たが神はともかく、木川監督の主体的な行動がもたらしたいくつかの奇跡的な偶然は故人信子さんの導き、引き合わせではなかったかと思うのは、この映画を観た者の感想としてごく自然なのではないだろうか。

 是非多くの人に観てもらいたい。