1966年創造社制作、配給・松竹。
1983年、大学入学で上京した私は4月の入学を待たず足繁く今はなき三百人劇場で開催されていた「大島渚の全貌」に通い詰めた。
理由は思い出せないのだが、その時に用事があったのかこの「白昼の通り魔」を見逃していた。
以後、観る機会が無くはなかったのに見逃し続ける。不思議なものでごくたまにそういう「縁のない」映画がある。
そして今回ようやく観ることが出来た。プリントの状態は良くない。
長野県の寒村が舞台。いくつかの死が描かれる中、死んでも生きているような女シノ(川口小枝)と、当時らしい戦後民主主義のかたちを絵にしたような教師マツ子(小山明子)の道行。時空間は途中でどうでも良くなる。スキャンダラスなタイトルの割には暴行事件そのものは殆ど描かれない。それでも目まぐるしく変わるカット、スタイリッシュな構図は当時の大島渚の体力が有り余ったような情熱が漲っている。
いつもながら観念が先行してしまう田村孟の脚本、台詞は話し言葉からは程遠く、その解釈を求める台詞は途中からどうでも良くなってしまった。
本作の後が「忍者武芸帳」「日本春歌考」「無理心中日本の夏」と続くことからすると、独立プロ創造社=大島渚が半ば狂気を持ってして時代を上書きし続けた発端の作品である事が見てとれる。
1963年開通の東海道新幹線、あの当時に貸し切って撮影できた事が驚異。
東京駅よりのぞみ43号で帰神。