映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「タクシー運転手 約束は海を越えて」監督チャン・フン at 神戸国際松竹

klockworx-asia.com  1980年の韓国、光州事件の再現がモチーフ。それを元軍人のタクシー運転手とドイツ人ジャーナリスト(時代的には西ドイツということになる)の視点から描く。ジャーナリスト、ペーター(トーマス・クレッチマン)が秘密裏に撮った16ミリフィルムをいかにして国外に持ち出して韓国軍事政権の人権弾圧(というより虐殺)を世界に知らしめるか、というかつてのコスタ・ガブラス監督の作品を思わせる政治サスペンス、にひと捻り加えているのがミソ。ペーターを金目当てで光州に運ぶタクシー運転手、マンソプ(ソン・ガンホ)のキャラクター設定。徴兵され除隊後サウジアラビアにトラック運転手として出稼ぎに行き、妻を病気で亡くし、幼い娘が一人いる。陽気でポジティブだが当時の政治状況がそうさせるのか、権力には歯向かわない。この男とペーターの珍道中が前半、光州に入ってから一気に緊張感を高める演出が秀逸。何が素晴らしいって、1980年の韓国を再現する美術。ため息が出るよ全く。日本映画では出来ないんだよこれが!

 光州事件の再現も凄まじい。事実の認識としてあっても実態がここまでとは知らなかった。まさしく虐殺。二人が車の故障で光州からソウルに戻れないことになった夜、地元の運転手宅で過す楽しい宴が楽しそうであればあるほどその正反対の事態が起きることが脚本のセオリーとして読めてはしまうが、疾走感溢れるアクションには惚れ惚れする。そして彼等が善人であればあるほど悲劇を招くことも自明なのだが。

 エンディングでジャーナリストと運転手の逸話が実話であることを知る。良く出来ている脚本構成、いつもながら素晴らしいソン・ガンホ。映画の出来もさることながら、これだけきちんとした歴史検証映画をつくることが、日本では絶望的であることをどうしても彼岸の差として認識してしまう。佳作、お勧め。


INT for movie “A Taxi Driver”-Song Kangho, Yoo Haijin, Ryu Junyeol [Entertainment Weekly/2017.06.26]

「レディ・プレイヤー1」監督スティーブン・スピルバーグ at 大阪ステーションシティシネマ

 

www.facebook.com  2045年の仮想現実の世界をスピルバーグが描く、がオープニングはヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」。仮想現実の世界で三つの鍵を探す少年達、それぞれの鍵の前には試練が待ち受けているというゲーム仕様だ。細かい御託にいちいち囚われる暇もないくらいのその世界のルールやら用語が飛び交い、正直ついていけない。しかし、冒頭の曲を始め、ゲームの世界に散りばめられる'70&'80thサブカルチャーと映画の引用にニヤニヤ、びっくり。とりわけ三船敏郎やらメカゴジラやらガンダムやらと日本製が幅を効かす。勿論、黒澤明の弟子とも言えるスピルバーグは自覚的だ。少年の一人がてっきり中華カンフー系だと思っていたら忍者だった、ということは彼等五人組のうちの二人が日系ということか。極め付けはキューブリックの「シャイニング」('80)の再生。「サタデー・ナイト・フィーバー」('77)もあった、やりたい放題。

 しかし前作「ペンタゴン・ペーバーズ」のラストが「大統領の陰謀」('76)に繋がっていることと今作のいくつかの映画の再生は無関係ではないと思う。単なる懐古的映画愛、ではなく真っ当な、社会と時代を切り結ぶアメリカ映画をつくり得る製作環境が危機的であることへの警告に見えてならない。前掲の作品群が彼が「ジョーズ」('75)や「未知との遭遇」('77)をつくっていた頃の作品群と重なるからだ。

 若い観客がこの映画に散りばめられた記号を知りたくなってネットで検索し、それらの作品を観る、そのことで単調なコミック原作CGアクションではなく、多様なかつてのような佳きアメリカ映画をもっと観たいと欲するようになれば、とスピルバーグは恐らくそこまで考えてこの映画をつくっている筈だ。

 ラストは未来版「失われたアーク」のようでもあり、エッグはどうしてもイースターを想起させる。友情やコミュニケーションへの理想主義も含めしっかりとスピルバーグ印。楽しかった!

そんな人はいないと思うが「シャイニング」未見の方は、予習を。

 

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「女は二度決断する」監督ファティ・アキン at シネリーブル神戸

https://www.facebook.com/InTheFade.lefilm/

 ドイツ、ハンブルク。トルコ移民の夫を持つカティヤ(ダイアン・クルーガー)、仕事場の夫に子供を預けて友達とサウナに行っている間に数分前にいた仕事場が爆弾テロに合う。夫と子供は即死、犯人はネオナチの若いカップル。実行犯は女の方。程なく逮捕され裁判が始まる。

 カティヤのキャラクターをただ復讐に燃えるお母さんにしなかったところが面白い。ドイツ人とトルコ人の夫婦、結びつけたのは麻薬だった。夫が服役中に獄中結婚。カティヤの母親の仏頂面からこの親にしてこの子ありのバックボーンが匂う。そしてファミリー全員が異様なヘビースモーカー。

 裁判が始まる。すきっ歯で眉間に傷のある被告側の弁護士。この弁護士のアクの強さからなんとなく判決が読める。案の定無罪判決。

 この後のカティヤの行動がどうも浅はかで「もう少し考えろよ」と言いたくなる。凡庸なる市民の行動としてはリアリティがあるとも言えるが。な・の・に!ラジコンカーの修理が出来る(という伏線)だけであんなにすぐアレ(ネタバレになるので伏せる)は作れんだろう。ラストもまた私は全く違う展開を想像していた。アレがあったらもう少しいろんなこと出来るだろうに。「太陽を盗んだ男」('79)のように。ってネタバレか。

 とまれ、そんなラストはドイツにおける移民の人権問題が深刻で手詰まりであることの象徴、とも読める。

 

 

「ダンガル きっとつよくなる」監督ニテーシュ・ティワーリー at TOHOシネマズ西宮OS

gaga.ne.jp

 スポ根もの、という言葉もジャンルも我が国では死語に等しいが、それは成長を止めてしまい内向きな閉塞感の中に澱んでいる国だからであることをこの映画で知る。

 長い歴史を持ちながら新興国でもあるインドにはまだまだ打破しなければならない課題も山積しており、時折知らされる名誉殺人だの集団レイプだのといった女性差別は深刻なようだ。14歳になったら見知らぬ男のところに嫁がされ、一生子育てと家事で終わる、という台詞が出て来る。80年前の日本ならそれも当たり前だったが、インドの女性の置かれた立場はそれが現実。そこからの脱却、がテーマの一つなのだが、ここに登場するレスラーとなる二人の姉妹、子供時代と成人してからの二組の俳優が、オーディションで選ばれたプロであった、と。つまりレスリングなんてやったことのない人たちであり、彼女たちが肉体改造をして演じる、ということに製作者側の意気込みを感じる。それは即ちインド映画の底力でもある。日本じゃ居ない。出来ないわ、断言する。

 さて、スローモーション使い過ぎ、そのせいでの161分とは思うが、例によってインド映画定番のド派手なミュージカル調と単純明快のスポ根サクセスストーリーで飽きない。それも嘘のない肉体の躍動の為せる技だ。

 レスリングインド代表のコーチが悪辣過ぎるのはご愛嬌、爽やかな気分で劇場を後に出来る佳作、日本映画は製作体制に於いて、中国に、韓国に、そしてインドに抜かれた。


Dangal - Title Track | Lyrical Video | Dangal | Aamir Khan | Pritam | Amitabh B | Daler Mehndi

「ロング,ロングバケーション」監督パオロ・ヴィルズィ at 宝塚シネ・ピピア

sonyclassics.comイタリアとフランスの合作、監督はイタリア人で私と同い年のベテラン、で舞台はアメリカ縦断。

スリー・ビルボード」の中で「ドナルド・サザーランドの映画ばっかり観て」という台詞が出て来たが、私もまたサザーランド父さんの映画は観たいと思う。83歳、本作では認知症の元大学教授、文学評論家を演じる。終末期の夫婦を描いた映画ではハネケの「愛、アムール」('13)が素晴らしかったがここでは陽性のコメディタッチ、ただそれほど面白いとは思えないベタなコント調がしばしば。

 冒頭の、妻(ヘレン・ミレン)がキャンピングカーの床面にガムテープで目張りするシーンで結末は何となく想像がつく。旅の行く先々でスライドを用いて家族の思い出を語るのも、特に印象的なエピソードもなく安直な印象。

 気になった点がいくつか。まず夫が妻を目の前にして隣の家の女性と間違うという症状を見せるところ。息子の名前が思い出せないのはともかく、至近距離でで見ていて「(隣家の女性に対して)別れよう」と語りかけるということはあるのだろうか。それと妻が倒れてポーチを置き忘れるあとの展開に繋がり易くする為のご都合主義。あれはいかにフロリダの救急隊員が牧歌的(ということにしたいのだろうが)とはいえ、ないだろう。

そういえば昔、こんなドラマがあった↓ そっくりだ。

www2.nhk.or.jp

「グレイテスト・ショーマン」監督マイケル・グレイシー at 109シネマズHAT神戸

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 エンディングの文言でP.T.バーナムが実在の人物と知る。所謂ヤマ師なんだけど本作ではポジティブなおっさんとして描かれる。ただ、綺麗事に終始せず、フリークスへの差別意識やクラス意識へのコンプレックスが物語のエッセンスとなっている。

 一曲一曲のパフォーマンスは魅せるものの、脚本はかなりベッタベタで典型的なキリスト教教条主義全開。ああ火事になるな、というところまで読めてしまった。

 そこさえ目を瞑れば、楽しめる軽めのポップコーンムービー。一昨年の「ラ・ラ・ランド」と違ってハナっからハリウッド黄金期のミュージカルと勝負していない開き直りは潔い。


New York, New York - On the Town

「素敵なダイナマイトスキャンダル」監督・冨永昌敬 at テアトル梅田

dynamitemovie.jp

 冨永監督は'75年生まれとのこと、ということはここに描かれている時代には十代だったということで、末井昭という人物よりも彼の営むエロ雑誌の編集部に赤電話から電話している高校生の方に近かったという訳だ。リフレインするあのシーン、素敵だった。そういう点では私の方が完全にあの時代と並走していることになる。「写真時代」の出版元、白夜書房高田馬場にあったことも知っている。よく前を通っていたからだ。

 なので、あの時代の空気感をよくも克明に再現したものだと美術部(須坂文昭)の仕事ぶりに感動を禁じ得ない。ロケーションも苦心惨憺したであろう、都内に'80年代の風景がいかほど残っているのか。そしてあの頃いた、ああいう人々。本当にいた。役者はみんな素晴らしい。三浦透子、刮目だ。あの精神病院のロケセットも良い。

 AV以前、デジタル以前のニッポンのエロゴト師。そう、今村昌平の「人類学入門」('66)の'80年代版であり、キラキラ、ギラギラのバブルではない昭和の残り香が芳しい。

何故か全員レンズが曇っている眼鏡、包帯や眼帯への偏執、センスの良いタイトルデザイン、「協力:泉じゅん」の粋なクレジット、そして最後の映倫マークの洒落も楽しい。

佳作、お勧め。


原一男のネットde「CINEMA塾」#007 ゲスト:末井昭さん