映画的日乗

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「村上知彦コレクション」in 京都国際マンガミュージアム

京都国際マンガミュージアム

1970年代インターネット無き時代のサブカル羅針盤、夢見る自主映画製作青少年の必須アイテムだったプレイガイド・ジャーナル元編集長、村上知彦さんのコレクション。

  押し入れのダンボールから引っ張り出して来たかのようなミニコミ誌や、伝説の自主映画「暗くなるまで待てない!」の資料の数々。

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展示スペースが3階の奥、この廊下向かって右側の低い棚だけなので、展示物はぎゅうぎゅう詰め、折り重なって見えない部分も多々。

moviewalker.jpそれでも、まだ見たことのなかった撮影現場のモノクロ写真に胸がときめく。

1974年頃の神戸大学教養学部の正門あたりのその風景。

村上知彦さんは本作のプロデューサー。

  「暗くなるまで待てない!」の3年後、25歳の大森一樹監督は1978年に「オレンジロード急行」でメジャーデビューする。

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 甲子園の球児ではなく、草野球のエースがいきなりプロで一軍デビューしたような事件に日本中の映画少年、青年の血が沸り、助監督苦節ン十年の末監督になれない、あるいはなれなかった映画屋の嫉妬の炎が舞い上がった日本映画史上歴史的な出来事だった。

 今振り返れば不振を極めた邦画メジャーがブロックブッキングに足をとられて何をやっても当たらない迷走の時代でもあった。

 小さなガラスケースの中の展示物は、自分の住む街神戸から生まれた夢と希望の詰まった映画の空気の缶詰のようだ。

  あの頃、学生が映画、文学、マンガ、音楽、芸術に知識を求め、権威と権力を嘲笑い、知性を高め思索することに意義があった。

 

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火の鳥が。知の巨人手塚治虫は知と思考が劣化した社会をどう思うだろう

 

 

帰路、青蓮院に立ち寄る。

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青蓮院の庭。秋にまた来よう。