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「紙屋悦子の青春」監督・黒木和雄 at シネカノン神戸

今年4月に急逝した黒木和雄監督の遺作。前作「父と暮らせば」('04)のラスト、舞台セットから仰ぎ見る原爆ドームという極めて直截な表現は、現代日本が「戦後」ではなく「戦前」であるとのメッセージを強く感じさせたが、矢継ぎ早につくった本作が、結果的に遺作となったとせよ、そのメッセージを訴え続けなければという使命感をして黒木監督を生き急がせた気がしてならない。
紙屋悦子の青春」は、現代の九州地方の病院の屋上から始まる。老夫婦のメークは舞台調で、彼ら(永瀬正敏原田知世)の「過去」を想起させるに充分な「若づくり」だ。そして彼らの時候についてのどうということのない会話から、いきなり「戦争はもう嫌です」という台詞が連なる。やはり黒木監督の、もう物語はここから始まりたいという強い意志(遺志か)が感じられる。
そして「昭和20年3月30日 鹿児島」へと時間が戻る。この、戦争末期のシーンは全てセットで撮られているようだ。庭の木々はどこが舞台調で、細部のリアリズムではなく、観客に役者の肉体と言語のみに集中させることを強いる演出だ。紙屋夫婦(小林薫・本庄まなみ)と共に住む、小林の妹で本庄の女学校時代の同級生・悦子(原田知世)は、明石(松岡俊介)という海軍将校を密かに思っているが、この明石が連れて来た永与(永瀬正敏)という男と見合いをさせられる。明石はいずれ特攻として出撃しなければならないのであった。既に空襲で両親を失っている悦子は、全ての運命を受け入れ、永与との結婚を承諾する。やがて明石の出撃の時が訪れ、最期の挨拶に紙屋家にやって来る…というお話し。ワンシーン・ワンカットを多用し、一人の台詞を会話の相手が何度かおうむ返しに話す独特のダイアローグは極めて演劇的だ。しかし、その分一切の肉体と言葉が目から、耳から離れない。ひょうひょうとしていて自我を感じさせない原田知世が、明石が去った後に号泣する感情の噴出に観る者は同調せざるを得ない。複雑な話でもなければ、特異な展開でもない。淡々とした日常があり、衣装や食べ物以外ことさらに戦時中というディティールは強調されない。「空襲があった」という台詞はあっても、空襲の描写はおろか、警報すら鳴らない。劇伴の音楽までない。そうした静かなる日常の描写から、国家に強いられた自死を以て引き裂かれる個人の恋愛という悲劇に対する憤怒がより鮮明に伝わって来る。役者は全員素晴らしい。
傑作、必見、お勧め。

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