映画和日乗

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「福田村事件」監督・森達也 at テアトル新宿

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 全国各劇場大ヒットのようだ。

この日観た回も満席、劇場を出ると次の回も「満席近い」とアナウンスされていた。さて大手シネコンが追随配給するか否か見ものだ。

 福田村事件については上原善広著「四国辺土」(KADOKAWA)に被害者が香川の薬売り一行であった事が記されていたし、流言飛語による朝鮮人虐殺は角田房子著「甘粕大尉」(中公文庫)にかの震災当時憲兵として帝都の治安に当たった甘粕正彦が他の憲兵による朝鮮人殺戮を諫める行動を取っている描写がある。

 森達也監督が劇映画初監督作としてこの題材を選んだ、プロデュース・脚本チームとしては森達也監督を選んだ、その両者の覚悟が満身の力で画面から襲って来る。

緊張は一瞬たりとも途切れず、どこか浮世離れしている静子(田中麗奈)の登場が微かに安堵させる瞬間はあるが、その静子も手垢に塗れた「令嬢」という記号的存在ではない。

 様々な史実を滔々と語る、あるいは水平社宣言を延々叫ぶといった映画的とは言い難い説明的描写も、憤怒を投げつける迫力が勝る。

また、反知性に対して尤もらしい言論で立ち向かうインテリの無力も描かれる。腰砕けの村長(豊原功補)は我が身を振り返ると笑えない。私も同じ境遇に立たされたらああかも知れない。オスカー・シンドラー杉原千畝もここにはいない。

 この映画は1920年代の視野狭窄民族主義と差別を重層的に描く事で、現在の日本の反知性、歴史修正主義、隠蔽主義に対しどんなに冷静な知性を以って反駁しても、或いはそれらの信奉者を「ウヨ」と馬鹿にしたとしても政治はむしろそちらに傾倒している今という時代への壮大なメタファーとなり得ている。

 プロの役者ではない水道橋博士の短躯が醸し出すインテリコンプレックスの粗暴と卑屈、コムアイの色気、一方「鮮人なら殺してもいいのか」の一言で全てを持っていく役者・永山瑛太。初監督森達也のキャスティングの慧眼と堂々の演出。そして事件が動く時、人物を前から捉えず後ろから追いかけるドキュメンタリー由来の手法に思わず手に汗握る。息絶える赤ん坊の鳴き声の戦慄。

惜しむらくは薬売り一行の香川から千葉への移動の距離感が感じられず、何かすっと歩いて行けたように見える点。仕方ないか。

 とまれ、暫定本年ベスト。必見。