映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「怪物」監督・是枝裕和 at OSシネマズミント神戸

gaga.ne.jp

 見えているものと見えていないものの両方(あるいは両側)を描く試み。 

見えていないもの、は幽霊でもそれこそ怪物でもない。自分の後頭部というものは他人には容易く見えるのに、自分では永遠に直接肉眼で捉えられない。

本作は当事者には見えていないものが他人には見えていることをその双方から丹念に描いていく。

 ここではフェイクニュースはネットではなく町の噂で伝搬する。小学校教師ホリ先生(永山瑛太)はガールズバーに通っているという伝聞だけでそのバーの入っているビルを放火したんじゃ、と担任生徒の母親・サオリ(安藤サクラ)に罵られる。サオリはホリ先生に我が子を虐待されていると疑っている。

学校の階段の下で猫の死体があるのを見つけた少年を見かけただけで「猫を殺している」と示唆する同級生。またこの同級生は後に「そんなこと言ってません」とも言う。

 それぞれの登場人物が善悪の二分法では分けられていない。唯一、中村獅童演じる星川なる男が我が子を理不尽な理由で虐待している。

 生徒虐待の濡れ衣を着せられたホリ先生は、実は子供思いの良い先生だが不用意に「男じゃないな」「男らしく」という言葉を発する。また、私生活ではところどころ子供っぽい。

サオリもまた我が子が虐待されているという思い込みで行動しているが、シングルマザーとして一所懸命に子育てに奮闘している姿は善である。

 是枝監督はホリ先生のジェンダー意識が低いと指弾している訳ではない。サオリの直情径行を浅はかだと描いているのではない。彼らはモンスター◯◯としばしば呼称される「汝の隣人」ではない。それは後頭部の見えない「私」かも知れないいうことだろう。

怪物というタイトルだが、実はどこにも怪物はいない。凡庸な私たちがいるだけなのだ。

 校長(田中裕子)の事態に向き合わない徹底した保身を彼女が孫を事故で失ったというエクスキューズで相殺しない点も秀逸だ。

 本作はイジメの犯人探しが主眼ではないのは自明で、後半は子供たちの繊細な二人の世界へと転化して行く。是枝監督は彼らだけの世界に絞って自我の肯定への過程を丁寧に描く。この辺りは是枝演出の独壇場だろう。

あの廃線跡の電車車輌、よくセットで作ったな。製作者のどなたかが↓これを知っていたのだと想像する。

minkara.carview.co.jp

 嵐の中この廃線の車輌の窓の泥を外側から手ではらおうとするホリ先生とサオリ、それでも車輌の中は見えず、まるで満天の星のように泥と雨粒が視界を掻き消すショットには鳥肌が立った。子供たちの深層が見えない大人という外界、しかし子供たちからは満天の星が見えている内なる世界。見事だ。

 佳作、お勧め。