「怒り」(2016)が嫌いでここのところ李相日監督作品はパスしていたが、今回はただならぬ気配を感じて、言うことを聞いてくれない膀胱爆弾を抱えつつ175分に挑む。
1964年正月の長崎、任侠組織の屋敷から物語が始まり、暗殺された組長の実子が復讐に燃える「ゴッドファーザー」('72)のような展開。が、復讐は未遂に終わり、少年は上方歌舞伎の名門に預けられる。こういうところもシチリアに逃げたマイケル(アル・パチーノ)に似ている。
しかし、2014年の「人間国宝」に至るまでの圧巻の175分を見届けると、李相日監督と本作の製作チームは「ゴッドファーザー」と言うよりはチェン・カイコーの「さらば、わが愛/覇王別姫」('93)と比肩する域に達したのではないかと感じ入る。
大袈裟ではなく、この30年韓国、中国、台湾各国の映画のレベルに遅れを取っていた日本映画が、ようやくここに来てこの一作で30年分を取り返したのではないか、とすら思える。
大名跡を血統ではない、しかもスミの入ったヤクザ者が跡を継ぐ、という奇想天外を、そんなアホなことあるかいなを、そう思わせずに見せ切るには徹底したリアリズムしかない。
この30年お金があろうがなかろうが、細部を疎かにして自壊してきた日本映画が、ここでは総員渾身の力で細心に描いている。
演技者は見事、田中泯の「はい」と吉沢亮の「はい」の意味の対比の深淵さに唸る。
スタッフ・キャストは同じ歌舞伎役者の世界を描く溝口健二「残菊物語」('39)を参考にしたに違いない、溝口の酷薄と絢爛のエッセンスが微かに匂う。
しかし一点、「残菊」と比べる訳ではないが欲を言えばこの映画、男も女も妖しさ、艶かしさが水気を帯びておらず、どこかスッと透き通ったようにスマートなのだ。
現代の俳優の持つ良くも悪くも「清潔」な佇まいが影響しているのか。血を描いて水がやや足りない。
本筋とは関係ないが血統を描く本作でシンクロしてしまうのが興行会社のマネージャー役、三浦貴大の「二代目の血」。
声も佇まいもお父上、三浦友和そっくりになって来た。
お見事傑作、平日昼間の劇場は七分の入り、お代に見合った満足感。これぞ映画。
