映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「ONODA 一万夜を越えて」監督アルチュール・アラリ at TOHOシネマズ伊丹

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 水俣に続いて小野田少尉という私の世代に於いては忘れ難き記号が映画となった。

 戦争末期、軍隊としての日本軍の飢餓に苦しむ様子が描かれる。市川崑塚本晋也の「野火」と描写は似ているが、その後戦争終結を知らず30年弱残留兵が生き延びられたのは、このルバング島(本編ではルバン島)に水や食料がある程度あったからであることが分かる。

 小野田(遠藤雄弥)がスカウトされて入校した陸軍中野学校二俣分校。

 映画で描かれるステレオタイプの陸軍軍人ではない谷口(イッセー尾形)という教官の行動と言動がいちいち新鮮だ。

 生きて虜囚の辱めを受けず、の戦陣訓を否定せよ。勝手に死んではならない。名誉の戦死ではなく、名誉なき忠誠。自分の司令官たれ。

 キビキビと訓示を垂れるイッセー尾形の名演。

 残留兵は小野田と他三人。

 年月と共に一人、また一人と斃れ遂には小野田一人になる。

 配役は遠藤雄弥から津田寛治に代わる。この津田、私の記憶している映像としての小野田氏にそっくりだ。

 ついに1970年代に至り、ある時一人の旅行者(仲野太賀)と邂逅する。

 「未だ戦時中」が「戦後」と出会った瞬間。

 目の前の男の振る舞いを言葉を発せず訝しげに見つめ続ける小野田。一方酒に酔ってベラベラと話す男。野生のパンダと雪男と小野田を同列に位置付け「会いたかった」と。やがて一杯の酒に手を出す小野田。

 彼が30年弱に渡ってずっと緊張状態にあったことがこの時分かる。

 自分が自分の司令官であれ。しかし国家の命令を墨守しなければならないジレンマ。谷口は必ず迎えに来ると言ったのに、違う人々がやって来る。父親が谷の向こうから「寛郎」と呼びかけているのにあれは「そっくりさん」だと断じるのは谷口=国家への信仰に裏切られたくない一念なのか。恋に近いほどの盲信。

 小野田は隠れ家の中で戦後の世界を妄想する。

 投降し、ヘリに乗った小野田の目に映った本当の戦後の世界と「名誉なき忠誠」は果たして吊り合ったのだろうか。

 小野田が撃つ南部十四年式拳銃が排莢しないのは残念。