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「アイダよ、何処へ?」監督ヤスミラ・ジュバニッチ at パルシネマしんこうえん

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 NHKの伝説的ドキュメンタリーシリーズ「映像の世紀」の中にクロアチア人によるセルビア人処刑の映像があったことを鮮烈に記憶している。

 また、エミール・クストリッツアの諸作品でも描かれている旧ユーゴスラヴィアボスニアの紛争は、いくつか資料を読んでみたが歴史と地形と宗教対立が複雑に絡み、どちらの国に同情するとか正義があるとかいう問題ではない。

 1995年、ボスニアの町スレブレニツァで起きたムスリム教徒への虐殺事件を描く。

 冒頭、緊張しきっているが故に無表情の複数の男女の貌のショットから始まる。彼等は国連から派兵されたオランダ軍司令官達との話し合いに臨む。だが、オランダ人達は無責任な回答をするだけで埒があかない。

 このオランダ軍と現地人の間に入って通訳をしているのがアイダ(ヤスナ・ジュリチッチ)。英語から現地語に正確に通訳する国連の職員である。

 この話し合いの席で激昂した市長は、直後、進駐して来たセルビア軍のムラディッチ将軍(ボリス・イサコヴィッチ)の命により射殺される。

 スピルバーグポランスキーナチスに殺されるユダヤ人の無念と恐怖を描くのに「目を背ける暇を与えない」手法に腐心したのに対し、ジュバニッチ監督は直接的に殺戮行為を見せない事による「後を引く不安」とも言うべき手法で本編終盤に至るまで延々と「いつ殺されてもおかしくない」緊張感を強いる。

 アイダは国連職員という特権を利用して自分の家族だけは助けようとする。これをエゴと捉えて突き放せない程状況は逼迫している。誰もがコルベ神父である筈がない。

 そしてこの映画は彼女がどんなに頑張っても思うようにならない事を、国連オランダ軍の無力ぶりを執拗に描く事で予兆させている。

 絶望的な結末。

 アップを一切使わず、終始引いた画によって捉えられる遺骨の確認現場がその空気をリアリスティックに伝え、暗澹たる気分になる。

 紛争終結後逃亡していたムラディッチに対して2017年になってようやく終身刑の判決が下された事を本編の最後に知らされる。

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 が、観る者を慄然とさせてしまうのは、ムラディッチの部下でかつてヤクザのような振る舞いで難民施設に入場した男が、紛争終結後、何くわぬ顔でアイダの視界に現れる事だ。

 虐殺に加担したナチス党員は戦後裁かれたが、ここスレブレニツァでは両者が共存しなければならないのだ。どちらかが牙を向けばまた元の木阿弥になる。だから微笑みさえ浮かべながら背後で拳を抑え続けている。

 それを知るアイダの貌は、冒頭の貌とは明らかに違っている。

 佳作、今この時だからこそのお薦め。