映画的日乗

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「なぜ君は総理大臣になれないのか」監督・大島新 at 京都シネマ

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 監督・大島新、この映画のタイトルを聞いた時、瞬時に想起したのがこの本のタイトル。


 

そう、大島渚の息子としての大島新が兄・武と共に父を語ったこの本のタイトルと今作のタイトルが地続きであるように思えてならない。

大島渚監督のドキュメンタリーといえばこれまた即座に思い出すのが「忘れられた皇軍」('63)だ。

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 「なぜ君は総理大臣になれないのか」は大島新監督が取材対象者たる衆議院議員小川淳也にこのタイトルを冠した企画書を提出するところから始まる。

 この父親譲りの直截的なタイトル、監督自身が画面に登場、ナレーションも監督自身というところも渚監督と同じだ。

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 テレビドキュメンタリーのキャリアがある新監督は本作を長編映画として映画館で上映するにあたり、方法論としての父のやり方を取り入れたことは想像に難くない。が、新監督は怒りに満ちた、欺瞞に満ちた政治の世界に対して「なぜ、怒らないのか」というぶつけ方はしない。小川淳也という善良な人間を17年間に亘り見つめ続けることで日本の政治のかたちを浮き上がらせる。

 2003年から17年、コロナ禍渦中の本年5月に至るまでの政治地図をおさらい出来る構成。初出馬のシーンで当時長野県知事だった田中康夫のトレードマークがたなびいているのが見える。本編では全く触れられていないが

活動報告04年10月

によるとシンパだったようだ。このことからもこの人は旧来型の選挙区への利益誘導的政治を拒否する政治を志していたことが伝わる。

 初回の落選の後、比例区復活当選で国会議事堂入り。2009年自民党惨敗の総選挙で遂に政権党民主党として仇敵の候補を破って当選。それまで腰の低かった彼の背筋がスッと伸びているのが分かる。

 ライバルの与党議員は地元新聞社一族。いかにも旧来型土着、利益誘導型政治家の顔をしている。ノンフィクションとはいえナイスなキャスティングだ。大島渚映画なら確実に戸浦六宏だろう。2003年の小川初出馬の時の、まあ頑張れよ的な余裕綽綽の顔をキャメラは捉える。

 その後紆余曲折、小川の青雲の志も党利党略、義理としがらみに絡めとられてしまう。かつて本人が党利党略が出来ない、だから出世しないとボヤいていたのに、親分について行くというしがらみから逃れられなかった。そしてあの百合子に足をすくわれる不覚。

 民主党から希望の党へと乗り換えての選挙、車の中で後悔を吐露する小川「無所属の方が良かったかな」新監督は即座に、そして冷ややかに「そうですね」。

 その逆風選挙、17年前祖母に預けられて泣いていた小川の娘姉妹は美しく、逞しく成長「娘です」のタスキを掛けて父の選挙活動に帯同する。

 「娘です」のタスキ、諸外国では噴飯ものだろう。そんな国なのだ。

 父娘の街頭活動に浴びせられる罵声「安保法制に反対だったんじゃないのか」あるいはまた「この辺りを掃除しているんだよこの人」という売り込みのような老人に対しても「ご意見」として伺う。少子高齢化への高邁な提言も虚しく結局は地べたに頭を擦り付けるようなお願いの前にそれは霞んでしまう。彼の後援者が「(やり方を)変えなければ」と言いながら選挙カーに乗っている、変えられないドブ板。 

 結果、再び利益誘導型自民党に負けてしまう小川。トランプと安倍晋三の類似を挙げ、極端な右派に重心を置きながらリベラル層にもウケそうな利益誘導を標榜するしたたかさ(まやかし)に抗する手段を持てない事を嘆く。

 美容院を営む小川の両親は息子は政治家に向いていないんじゃないかと思うと言う。では政治家に向いている人とはどういう人なのか。勝った方の新聞社がバックの自民党政治家が向いていて小川が向いていないのだとしたら、それは当人の性質ではなく「娘です」のタスキが象徴するように、システムを含めた日本人と政治の関わりの問題だろうことが透けて見えて来る。

 小川淳也を見つめることで炙り出されたのは、政治の堕落や腐敗ではなく、複雑で複合的な同床異夢である。右肩上がりの時代なら同じ夢を見るというもの。自覚なき低空飛行、低温の時代なのだ。

 この国の今という時代は決して明るい未来には繋がってはいないが絶望にはまだ少し早い、そんな気にさせてくれるラストの彼の「まだ総理大臣になれない」理由の言葉だった。

 観た人と語り合いたい、考えたい。お勧め。