戦後間もなくの時代から昭和天皇崩御を経て現代へと西暦年号を記しながら、井藤正治(松本利夫)という人物の来し方をエピソードで繋いでいく構成。
ケネディ暗殺、ベトナム戦争、田中角栄逮捕‥‥時代の移ろいが台詞や小道具で丁寧に示されるのは井筒監督「ガキ帝国」('81)以来の手法。ただ、本作ではその時代の移ろいが井藤が任侠団体を率いる過程にさほど影響していない。その時こんな事がありました、の羅列となっている。
本作でも台詞で語られる「ゴッドファーザー」('72)が血縁に拘ったファミリー主義であったのに対して、ここでの日本の地方都市のヤクザは親に捨てられた寄るべなき者達による擬似家族である。その点ではスコセッシの「グッドフェローズ」('90)に近い。
嘗て記事で読んだことのある後藤組というヤクザ組織の組長の人生が本作の原作である事は観ている間にすぐ気がつく。伊丹十三襲撃事件については表現を逃げているが、一方で野村秋介氏の事件は丁寧に見せている。
製作開始時より関係者から聞いていた苦心の程は分かるが、やはり「そちら」への忖度は感じざるを得ない。一方、今の時代絶対に許可が下りなくて撮影できないであろう襲撃シーンなどはそのお陰で可能になったのかも知れない。あくまで想像だが。
登場する役者は末端に至るまで皆ゴツゴツしたええ顔をしている。つるんとした、固いものなど食べたことのない様な品性も知性も無いホスト顔が跋扈するキラキラ邦画への清々しいまでのアンチテーゼにはなっている。
井筒監督デビュー作に出ていた三上寛、「ガキ帝国」組の升毅、木下ほうか。彼らの登場こそが井筒さんの映画を巡る時代の変遷を物語っていて、勝手にしみじみ。