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「カゾクデッサン」監督・今井文寛 at 元町映画館

映画『カゾクデッサン』オフィシャルサイト

 小津が家父長制による家族が緩やかに崩壊して行く様を描き続け、森田芳光が闖入者によって家族の・ようなものを破壊したにもかかわらず、21世紀も20年を過ぎたのに家族を描き続ける日本映画。予算がない為に家族をテーマにすると企画が成立し易いのがその主因で、外に向かわず内向きであり続けることを是としてしまっている。アサダケのような家族バンザイがまだ称揚され、泣いて縋って擬似家族を愛おしむヤクザまで現れる今日、「家族」をカゾクとカタカナ表記した本作に俄然興味を持った。

 今井監督は照明部出身、本作は自主制作らしい。

note.com 印象的な回想シーンから始まり、恐らくせせこましい筈の都会のバーのロケセットに一枚の鏡を置くことで画の広がりを演出してみせる手腕に居住まいを糺す思いで魅入った。が、一方またしても元ヤクザ、である。元ヤクザが出て来ない邦画の方が珍しいんじゃないかというほど元ヤクザがあの映画にもこの映画にもわんさかいる。

  元ヤクザ剛太(水橋研二)と対象的なワーカホリックサラリーマン池山(大西信満)、二週間意識が戻らず眠り続ける池谷の妻(中村映里子)、剛太の「子かもしれない」中学生(大友一生)のアンサンブル。

  剛太には一緒にバーで働く連れ合い(瀧内公美)がいてだらしない彼を叱咤し続ける。

 剛太が父親だと信じ始める中学生が衝動的な暴力に走る。ちょっと「野獣死すべし」('80)の頃の松田優作に似ている、と言ったら盛り過ぎか。

 それを暴力を以って諌めた剛太が自分が父親だ、と認めるシーンで異物感を誘うカットが挟まり、観る側を戸惑わせる。何か、あると。

 映画は後半あっさりと彼等の関係性の謎を解きジョアンナ・シムカスを愛した二人の男アラン・ドロンとリノ・バンチェラの友情物語「冒険者たち」('67)を呼び起こす。

 あるいは冒頭の病院で次から次へと登場する人物をリレーしていくキャメラはアルトマンの影響か。

 池山の妻は突如眠りから覚め剛太は連れ合いから妊娠を告げられ、父親になる事を悟る。

 家族ではないカゾクのカタチが幻想的なダンスで顕れる様は爽やか。画づくりの巧みさが物語を底上げしている。