映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「17歳の瞳に映る世界」監督エリザ・ヒットマン at シネリーブル神戸

www.imdb.com 覚えにくい邦題だ。何でも「17歳」と付ければ客の食いつきが良いらしい。「ヒトラーの」と付けたがるのと同じで拍車のかかる日本の観客の知性の劣化に迎合しているのであろう、やれやれである。

 原題の"Never Rerely Sometimes Always"は映画中盤にその意味が分かるので観ていない人の為にここには真意を記さない。

 高校の文化祭か、そのルックから16ミリフィルム撮影だろうと推測できる。古めかしく見せる為の16ミリかなと想像する。高校生達の演目はプレスリーのものまね、'50年代風ボーイズコーラス、そして社会にプロテクトするフォークソング。舞台は1960年代のアメリカか、と思いきやGoogleが出て来てこれが現代の話なのだと気が付く。

 ヒットマン監督(凄い名前や)の観る者の浅い想像を裏切る鮮やかなオープニング、お主なかなかやるなと感嘆。そして1960年代かと見紛うペンシルバニア州のある田舎町のこれらの現状が、スカイラー(テイラー・ライダー)とオータム(シドニー・フラニガン)といういとこ同士であるヒロイン二人の精神と肉体を抑圧している、という鮮やかなメタファーとして迫って来る。

勝者映すカトリック票 激戦州ペンシルベニア左右―米大統領選:時事ドットコム

 妊娠中絶反対派の存在についてのこの記事は本作に描かれている土壌の一端を表している。

 避妊しない男(登場しない)、文化祭で下衆なヤジを飛ばす男、スカイラーとオータムのバイト先のセクハラ店長。女性監督が描く男性のステレオタイプ=バカでセックスの事しか考えていない、が羅列される点は特に新味がない。

 妊娠した事が判明したオータムは行動的なスカイラーと州内では堕胎できないので長距離バスに乗ってNYに出る。そこからの三日間が手持ちの16ミリキャメラで綴られる。

 大都会NYを彷徨う彼女達をスケッチ風に追い掛けたかと思うと、カウンセラーからオータムへの過去を問う尋問を延々とワンカットで押し切る力強さ。

 バスの中で彼女達をナンパして来る男と必要に迫られて再会、無一文になってしまった彼女達はスカイラーの一計でナンパ男を手なづけようとする。

 「真夜中のカーボーイ」('69)の現代ガールズ版かとも思ったが、彼女達はあの映画の二人よりタフだ。指先が触れ合う、二人の絆を示すカットは秀逸。

 宗教の抑圧とそれによる制度の法的な不平等により、男性は無罪で女性のみが背負わされる痛みに対する静かなる問題提起になっている。