映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「ノマドランド」監督クロエ・ジャオ at 宝塚シネ・ピピア

www.imdb.com 今年のオスカー3冠。

 エンドロールで息を呑むのは主演のフランシス・マクドーマンド以外の出演者が全部本名であること。上のIMDbのリンクで確認出来るが、マクドーマンド以外はこの映画が初出演。素人なのか、何らかの演技経験があるのかは不明だがまずそこにいる自然さを最優先とした監督の勇気に恐れ入る。

 恐らく最小限の照明機材、手持ちできる小型のキャメラを駆使している。製作費はかかっていない。低予算で出来ることを逆算してプロダクトされている。

 マクドーマンドもまた本名に近いファーンというのが役名。原作があるのにも驚きだがそのノンフィクションの映像化権を持ってクロエ・ジャオを抜擢したのは彼女自身だったそうだ。つまりプロデューサー兼任。

 物語の始まりはネヴァダ州エンパイアという町。

apnews.com 産業である石膏採掘業が途絶え、郵便番号すら抹消された死の町。

夫を亡くしたというファーンはそこからノマド生活の旅に出る。Amazonでの仕分け作業に従事する人々。ファーンが知り合う彼彼女達はバンの中で暮らす移動生活、季節労働者。特に起伏があるエピソードはなく、彼らの日々が季節の移ろいと風景の移ろいの中で展開する。

 仲間の死もある、淡い恋もあり、一緒に家に戻らないかとプロポーズもされる。彼らはみな一様に優しい。

 ファーンは車の修理費を姉に借りに行かなければならず、そこでの会話から素性が垣間見られるが、何故ノマド生活に固執するのかは具体的には描かれない。ジャオ監督は確信犯でそうしている。そしてファーンは決して泣かない。

 西部開拓時代の「男達」は戦い、殺し合い、力で荒野を耕し、移民や奴隷の上に立ってインフラ整備を遂行した。彼らがアメリカの大地を移動しながら生きていた事は営々とつくられてきた西部劇(時にはイタリア製もあった)で語られて来た。

 その末裔は今、傷を労わりあうかのような優しさに包まれながら静かに放浪する。

 土と水と太陽と月の光を感じながら生きる女の悟りが美しい夕闇の中にひとり佇む姿は、これからの人類の生き方を示唆している。

 アメリカン・ドリームは潰えたのかも知れない。暴力も、対立もなく、声を荒げる者さえいない、ひたすら労り合う。それが現代の西部劇「ノマドランド」である。

 佳作、お勧め。