竜巻を近くで見たいと子供達を乗せて車を運転するフェイブル家の母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)、その邪気のない行動にスピルバーグの作品の放つ無邪気さを感じ取る。
一方、サミー(ガブリエル・ラベル)ことスピルバーグ少年の分身はハイスクールでの壮絶なイジメに反発する術を持たない弱さに、彼がユダヤ人としての出自や戦争を描く時の無慈悲を感じる。
竜巻に話を戻すと、ミッツィの車の前を風で飛ばされたスーパーマーケットのカートが横切る。「宇宙戦争」(2005)に同じカットがあったと記憶している。その「宇宙戦争」、娘がデリバリーで取ったイスラエル料理を一口食べる父トム・クルーズが「不味い」と言い、料理が何かを娘に尋ねる。ユダヤ人なら知らない筈のない料理を父は知らない。
父と子の断絶をしばしば作品に挟んで来たスピルバーグ。「未知との遭遇」('77)のリチャード・ドレイファスは平気で妻子を置いて宇宙船に乗り込む。「E.T.」('82)のエリオット少年の父は愛人を追って家を出て行った。
スピルバーグと父の不在は潜在的な彼のテーマだと思い込んでいたが、本作のあからさまな、いや赤裸々と言ってもいい告白は、掴み難い母への深い憧憬と、彼女の不貞に起因する反発であった事が分かる。つまり「E.T.」の一家の逆だったのだ。
映画の道を進むサミー、既にして彼の知る映画と映画監督の欺瞞と恐ろしさ。現実にはクソ野郎でも映画の中では演出と撮り方でヒーローとなり、イジメっ子を孤独なモテない男に描く事が出来る。クソ野郎に胸ぐらを掴まれながら映画への畏れと映画監督の孤独を悟るサミー、しかし程なく映画の神様は彼の頭上に舞い降りる。ジョン・フォード。
彼とジョン・フォードとの邂逅は自伝などで既に語られたものだが、遥なる映画への憧れを最後の最後に持ってきたスピルバーグ。前作「ウェスト・サイド・ストーリー」(2021)というリメイクはオールド・ハリウッドへの回帰という老い故の頑迷を感じたが今回、あの頃の青雲の志を忘れない、と締め括ったのは映画監督として最上の幸福だろう。
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「未知との遭遇」でトリュフォー、「フェイブルマンズ」でリンチとくればサンフランシスコロケでイーストウッド、出ないかなぁ。単なる個人の妄想。