埼玉県川口市が舞台。
コインランドリー店の2階に住むクルド人家族。ストーリーはサーリャ(嵐莉菜)の高校生活を中心に進んで行く。成績優秀、友達もいるサーリャだが空気を読んで場に合わせている事が見えて来る。
日本語とトルコ語が話せる故、クルド人難民からの頼まれごとも多い。ストレスを抱えながらもそれらを受け入れている「心からの笑顔ではない」愛想笑い。
サーリャの父がビールを飲んでいて、祈りのスタイルもムスリムのそれではない。
本編では一言も語られないが、ヤズディ教のようだ。
観終わってから調べたが、このヤズディ教のあらましを知ると本編で起きていた事がより深く分かる。サーリャがなぜ父親から厳しく日本人の同級生との交際を禁じられたか。また父親が帰国したら命の危険に晒される理由。
この映画に描かれているような「とにかく出て行け」という日本の難民政策は先般の名古屋入国管理局での事件やウクライナ難民の受け入れなどで事情が変化しつつある。
が、ここで描かれる不寛容と差別はまだ社会全体では主流なのだ。
原田眞人が「バウンス ko GALS」('97)で描いた日本の狭小な度量と歪な精神の男達は20年以上経っても「健在」であることが示される。そんな彼らが支える神なき国の自画像でもある。
安易な希望は与えてくれない展開と結末。それでもサーリャの鏡の向こうを見つめる眼差しに幸あれと祈る。
川和田監督は優しい微風のような色彩と音楽によって不寛容と断絶の世界を俯瞰する。一方でサーリャとその家族に寄り添うことで、怒りと疑問を込めて、この国に投げる石の礫を握りしめている。
佳作、お勧め。