映画和日乗

映画、食、人。西に東に。

                         

「ペルシャン・レッスン 戦場の教室」監督ヴァディム・バールマン at Bunkamura ル・シネマ

11.11 Fri.公開 映画『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』公式サイト

 2020年ロシア=ドイツ=ベラルーシ合作、ということは現在では戦争当事国と対立している国の合作。たった数年の時代の変遷は儚い。

 1942年のベルギー(当時はナチス占領下)、殺される運命にあったユダヤ人の一人ギリス(ナウエル・ペレーズビスカヤート)が自分がペルシャ人だと偽り、たまたまペルシャ語を学びたかった強制収容所の将校コッホ(ラース・アイディンガー)によって語学教師の任を与えられる。咄嗟にギリスは出鱈目のペルシャ語を編み出し、必死で単語を記憶しながら命懸けで教師を勤める。

 「ペルシャ語を学びたかった」というモチーフで引っ張るストーリーの、その強引さは否めない。が、本筋とは別に日々命を削られて行くユダヤ人と対照的な収容所勤務のナチス将兵の平時と変わらない色恋が描かれている点は出色だ。

ありふれた三角関係、俗な猥談。彼らが凡庸であればあるほど市井の人間臭く、人間臭さ故のユダヤ人排斥が炙り出される。

 神経質なコッホは女性秘書をクビにして収容者のリストの清書をギリスに命じる。この辺りから奇妙な贔屓が始まる。もともと故国では料理人で「戦争が終わったら兄のいるテヘランでレストランをやりたい」からペルシャ語を学ぶのだと言う。どうにも奇妙だ。が、上司の収容所所長からコッホのギリスへの贔屓を疑われ、尋問される。「テヘランにいる兄」について、君の身上書にはそんなことは書かれていないが、と訊かれ「兄は前はギリシャにいた、今はテヘランにいる」と。

 そうか。兄とは同性の恋人の事か。ナチスの思想的にも当時の欧州文化においても同性愛は御法度。さすればギリスへの贔屓も単なる情ではないのかも知れない。そうすると得心がいく。女性に容赦がないコッホ、上司に平気で男性器のサイズの話をするコッホ。本編では潔いくらいに同性愛について描写でも言葉でも説明されない。

 戦後念願のイラン・テヘランに渡ったコッホが受ける惨めな仕打ちと、米軍に保護されたギリスのカットバック。ラストは見事な伏線回収である。

 あの当時のユダヤ人排斥を描く数多の作品の中で異彩を放つ変化球作品。