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「燃えあがる女性記者たち」監督リントゥ・トーマス&スミシュト・ゴーシュ at 元町映画館

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映画『燃えあがる女性記者たち』公式WEBサイト

 

Writing With Fire

 原題 Writing With Fireはカッコいいが、我が国では「記者」に「女性」とわざわざ謳わなければならないようだ。

 上映後のトークで知って愕然としたが、世界ジェンダー・ギャップ指数2023において、本作の舞台インドが127位、日本は125位である。

eleminist.com↑この記事にあるように日本は政治分野が世界最低レベルにある。

 インドの地方都市に於ける階層差別、女性差別に対し、義憤を感じて発刊された地方紙カバール・ラヒリヤを追うドキュメンタリー。

同新聞社の記者は全員女性、ある時からペンをスマホに換え「街角ジャーナリスト」を増員、スマホで映像を撮って即座に送信する取材方法に切り替える。

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教育の機会が無かったせいで、スマホの英語表記が読めない人がいる。

この人が映画の終盤に立派に報道の役割を果たしている姿は清々しくさえある。

彼女達は失礼ながら皆背が低く小さく見えるので、ズバズバ忖度なしに居丈高な男性達に突っ込むと、暴力で返り討ちに合うのではとヒヤヒヤしてしまう。もしかしたら実際にはそれはあったのかも知れないが。

中心になっているミーラという女性は14歳で「嫁がされる」が、嫁ぎ先の理解で教育を受ける機会を得る。

一方、旦那は旧態依然な思想ながら彼女の行動力を止める事はしない。ブツブツ文句は言ってはいるが。

スニータという陽気な記者は家族の圧力に負けて結婚をする。その結婚式での彼女の無表情が辛い。

彼女達は結局は体制即ち政治を変えなければとキャメラを選挙に向ける。

そこに至るまでの行動と思考は「真実を知ること」が基盤になっている事がよく分かる。

我が国にはそこが決定的に欠けている。無関心という「無知の知」ならぬ「無知の痴」の蔓延である。

政治・選挙に反知性が跋扈しているこの10年、125位の国が127位以下に落ちるのは時間の問題だろう。

 しかしインドも希望に溢れている訳ではない。日本の反知性と同義とも言える大衆の宗教右派への傾倒が押し寄せる様が映し出される。

ミーラは日々状況を憂いながらも不敵に笑う。この強さは虐げられた者の怒りの反作用であろう、素直にエールを送りたい。

 佳作、お勧め。