映画和日乗

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「犯罪都市 NO WAY OUT」監督イ・サンヨン at kino cinema神戸国際

【公式】映画『犯罪都市 NO WAY OUT』オフィシャルサイト

 

 早くもシリーズ三作目、ひと昔前、いやふた昔前ならジャッキー・チェンのお正月映画のような位置に収まりそうな勢い。

設定が前作から七年後、とのことだが風景も風俗も特に気を配っている風でもなく、あまり意味を為さない設定。

冒頭のマ・ドンソク兄貴のお約束腕っぷしも「定食」感満載、まあ絶対的無敵の誇張という事で、「ダーティハリー」がシリーズ化されてから冒頭で強盗を撃ち倒すパターンと一緒。

構成は黒澤明「用心棒」('61)に近い。韓国ワル警察と日本ヤクザの二つの対立する組織、日本から韓国に入る合成麻薬の取引をお目溢ししながら中抜きをして、その分を中国マフィアに売っている韓国警察のオトコマエワル捜査官。

この二つの組織を一網打尽にしようと奮闘するのが我らがマ・ドンソク兄貴の新勤務組織たるソウル広域捜査隊。

気は優しくて力持ち、愛嬌のある丸顔で教養は無いが憎めない、そしてパンチ一発で悪党をバッタバッタと薙ぎ倒す。

ダーティハリー」も「用心棒」も無敵だがちょっとした隙につけ込まれて一回はボロ負けする。そしてそこから知略と根性で復活する、のが古典の教則。

ところが本作では後半その「復活」が根性だけなのでじゃ何でもありやん、とちょっと萎えた。

 

 だがしかし!これでいいのだこの人は!エンドロールの「告知」でもう第4作を期待している自分がいた。

「ゴールド・ボーイ」監督・金子修介 at 109シネマズHAT神戸

映画『ゴールド・ボーイ』公式サイト

 

 原作は中国のものらしく、本国版の配信ドラマもあるらしい。

翻案版の舞台は沖縄、コザ。米軍機のジェット音がオープニングで金子監督の映画的センスがキラリ。

小学生の投資詐欺やら中学生の美人局のニュースが飛び込む現在、本作の小学生の恐喝グループもリアリティを帯びて来る。尤も彼らが対峙するのはサイコパス殺人鬼。

犯人は誰?というミステリーではなく登場人物各々が抱く「殺意」の質量を主犯が凌駕して行く展開。と書いても何のこっちゃだろうが、未見の方の為にあまり核心に触れる事は本作の物語の性質上書けない。

気になって仕方がなかったのは岡田将生の「義父」の発音。「岐阜」に聞こえるのだ。誰も沖縄方言を話さないのは良いとしても、あれは何故なのだろう。

あと、このタイトルは分かりにくいと思う。

最近たまにお会いする金子監督、スピーディな展開で飽きさせない手腕、ラストの鮮やかさは流石の手練れ。

 

 

「コヴェナント/約束の救出」監督ガイ・リッチー at kino cinema 新宿

映画『コヴェナント/約束の救出』公式サイト - 2024年2月23日公開

 

 ポスターにも本編のアバンタイトルにもエントロールにもやたらと"Guy Ritchie's"と出て来るのには些か辟易する。その自己顕示欲過多が「実話の映画化」の真実味を薄めているように見えてならない。

事実、脚本の運びは定形で、スジは先の先まで読める。

ネタバレを慎むが、ダムの決戦での「あのタイミング」は「昔の戦争映画」だ。

あそこでアメリカ国内での劇場では「拍手喝采」なのかも知れない。やれやれだ。

さて、そういった作劇論はさておき、アーメッド(ダール・サリム)の超人的体力を目の当たりにすると、いくら映画とはいえ初手から人力で負けている米軍に勝ち目はなかったと悟る。

ベトナムに続き、二度も三度も同じ轍を踏み続けるアメリカという国への失望がラストの字幕で綴られる事で「ランボー3/怒りのアフガン」('88)とは一線を画してはいるが。

同じ題材なら「ローン・サバイバー」(2014)の方に軍配。

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「夜明けのすべて」監督・三宅唱 at TOHOシネマズ西宮OS

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 「ケイコ 目を澄ませて」(2022)が良かった三宅唱監督の最新作。

原作は瀬尾まいこ(未読)。

前作と同じ16㎜撮影(撮影:月永雄太)で、極力フィックスだが絶妙なタイミングで動き出す。嫌な画は一つもない品の良さ。嫌な、というのは嫌なものが映っているという意味ではなく、清潔に整っているという意味だ。

さて、個人的にPMSという症状について不見識だったことを恥じる。この映画によって知る事となった。一方、パニック障害については身近に体験者がいる。

PMSによって仕事を失う藤沢(上白石萌音)と、パニック障害によって転勤する山添(松村北斗)が東京下町の、小さな町工場という職場で出会う。

周りにはそれぞれ事情を抱えている人がいて、彼らは一様に二人に優しく接している。

日本の都会人の寂しさと、侘しさ。かつては市川準監督がこういう世界を描いていた。

 

東京夜曲

東京夜曲

  • 長塚 京三
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ただ、市川準が常に東京という都市への慕情を塗り込め、老成した人生観を滲ませていたのに対し、1984年生まれの三宅監督はそういった懐古調では唱わない。

 何か、ゆったりと加減の良い湯に浸かっているかのような心地良さ。

繊細ながらコミュニケーションを重ねることで徐々に内から外へと向かう二人は、抱き合うでもなくむしろ別々の放物線を描くように恢復して行く。

塩梅の良いハッピーエンド。

 ちょっと巧過ぎ、というのは語弊があるか。ふた昔前なら「毒がない」などと攻撃されたかも知れないが、現在の日本映画でこの気品は貴重。

ラスト、エンドロールがダブるあのフィックス長回し、キャッチボールの妙もまた。

佳作、お勧め。

 

 

「スケアクロウ」監督ジェリー・シャッツバーグ at TOHOシネマズ西宮OS

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 昨年、「午前十時時の映画祭」のラインナップが発表された時、これは観なければと決めていた。

学生時代しばしば名画座にかかっていたのに何故か見逃している名作が何本かある。

映画は常に一期一会である。

シャッツバーグはリアルタイムでは「スーパーカーフェラーリ/青春の暴走」('76)から。「恋人ゲーム」('85)はちょっと良かった記憶が。

そんなシャッツバーグがカンヌグランプリを獲ったのが「スケアクロウ」。

キャメラは後に巨匠となるヴィルモス・ジグモンド。本作も終始ロングショットの長回しで芝居を捉え、冴え冴えとデンバーの風景を切り取る。

アル・パチーノはキャリアとしては「ゴッドファーザー」('72)の後、ジーン・ハックマンは「フレンチ・コネクション」('71)の後で、この次が「カンバセーション/盗聴」('74)。

ああこの時代のアメリカ映画のなんと豊穣だった事か。

 

寂しい男二人の道行き。

細やかな夢と願いを携え、デンバーからデトロイトへと向かう。

Google マップ

約2,050㎞、こんな距離か。

ライオン(アル・パチーノ)は同性愛のように見える。マックス(ジーン・ハックマン)が妹の友人と親密に話し始めると、視界に入るように大袈裟な身振りで廃材を運ぶ。

妻子を捨てて家出しているのも理由が描かれないが、そういうバックボーンがあるからか。

喧嘩沙汰を引き起こして労役刑で農場へ送られる二人。

農場の牢名主(リチャード・リンチ)は見るからにゲイ、ライオンを依怙贔屓した上で襲う。

ライオンの願い、それは子供の誕生日にプレゼントを渡す事。

会うのを拒否されるのが怖くて事前に電話する事ができない。

ようやく辿り着いたデトロイトの我が家。素直に訪ねる事が出来ないライオン。

そしてその結末は苦い。置き去るプレゼント、素晴らしいショットに涙が出かかる。

ラストの唐突さもセンス抜群だ。何だろうなぁ、やっぱり心に刺さるのはこの時代のアメリカ映画だ。

アレサ・フランクリンの"You Me Feel Like A Natural Woman"が沁みて仕方がなかった。

アメリカン・ニューシネマが限りなく愛おしい。

 

 

 

「哀れなるものたち」監督ヨルゴス・ランティモス at OSシネマズ神戸ハーバーランド

哀れなるものたち | Searchlight Pictures Japan


www.youtube.com

 

 この「哀れなるものたち」のPR動画、何度も見てしまう。

世代的にとても幸せな気分になれるからだ。

最近、これは観たいと思う映画が減った。

アメリカ映画の幼稚化は末期的だし、今に始まった事ではないが邦画の貧乏臭さは眼を覆うばかりだ。

そんな中ゆりやんさんのこのPRは心に刺さったよ。「女王陛下のお気に入り」(2019)のヨルゴス・ランティモス「びっくり仰天」で「自慢の」最新作。

主演のエマ・ストーンはプロデュースも兼ねている。

 

mitts.hatenadiary.jp

妊娠していた自殺死体から胎児を取り出し、その脳を死体に移植して生き返らせる。

心臓の蘇生はどうなっているのだ、と疑問を挟むとこの後の物語は全て成立しないが、最早人間なのか妖怪なのか分からないバクスター博士(ウィリアム・デフォー)の立ち振る舞いが強引に物語へと誘う。

 欲望に忠実に生きようとするベラ(エマ・ストーン)は、関わる男達がキリスト教的道徳概念と支配欲で押さえつけようとするのを撥ね付けて行く。

性欲に忠実でそこに恋情を絡ませない本能剥き出しのベラに対して、男達の彼女への隷属と狼狽ぶりはまさしく「哀れなるものたち」。

結婚式の、あの黒い十字架は宗教の呪縛への挑戦、或いは嘲りとみた。

エロだグロだとの評もあるがイマの人は耐性が弱い。淀川先生なら鼻で嗤うかも。それほど悪趣味でもない。むしろ抑制が効いているくらいだ。

いやそれよりもラスト、あの「ヒツジ」に何故か鳥肌が立つほど感動した。

自分でもよく分からない。無意識にこういう展開を心待ちにしていて、その通りになったからかも知れない。佳作、お勧め。

 

「サンセバスチャンへ、ようこそ」監督ウディ・アレン at シネリーブル神戸

映画『サン・セバスチャンへ、ようこそ』オフィシャルサイト

 

 ウディ・アレンの映画でどれが好きか、と問われると「アニー・ホール」('77)と「マンハッタン」('79)が同率首位だ。今でも繰り返し観る。

その「マンハッタン」でダイアン・キートンの元カレ役でちらっと出てきただけで笑いをとっていたのが今回の主役リフキンを演じている、ウォーレス・ショーン。

舞台はサン・セバスチャン国際映画祭、リフキンは米軍のアーミージャケット風の上着を羽織っている。これは「マンハッタン」でアレンが常に来ていたベトナム戦争時の米軍のジャケットを思わせ、最早これだけで彼リフキンがアレンの分身であることを物語っている。

映画祭に群がる映画人のスノッブぶりを嘲笑しつつ、昔は良かったと数々の名作をパロディ風に繋ぐ。フェリーニベルイマントリュフォーゴダール

ルルーシュ「男と女」('66)に至っては音楽までそのまま。

大学で映画を教えているというリフキン、言うほどインテリジェンスは感じられず水野晴郎ばりの「映画って良いですね」のレベル。

ブニュエル「皆殺しの天使」('66)もそのままイタダキ、その部屋でインテリぶって親族をバカにする為に持ち出すのが稲垣浩忠臣蔵」('62)に黒澤明「影武者」('80)。

イナガキとかナカダイとか言いにくい日本名をわざと繰り出す老醜。

そういえば「マンハッタン」でアレンが「乱」('85)を観終わって劇場から出て来るシーンがあった。

妻(ジーナ・ガーション、なんちゅうキャスティング)と妻が宣伝を担当するフランス映画の監督(ルイ・ガレルフランソワ・オゾンがモデルか)の会話に全然入り込めずにヌーベルバーグの巨匠の話しを独言る老いの惨めさがイタい。

 ラストはベルイマン「第七の封印」('63)そのまま。死神役は後から知ったがクリストフ・ヴァルツ

その死神に「見放され」まだ生きて行くリフキン。

全体の完成度はともかく、自己模倣を許せよと自身の来し方行く末を一本作品に出来た映画作家としての幸福感に満ちている。

リフキン役のショーンもミスキャストだと思うが目くじら立てても仕様がない。

キャメラは名匠ストラーロ、こちらも往年のキレはないが色使いは流石。