www.paramount.co.uk デクスター・フレッチャー監督は「ボヘミアン・ラプソティー」で途中から監督になった人。いろんな事情があったことは察するに余りある。で、続いて間隔を置かず実在の、しかも現存のアーチスト、エルトン・ジョンの半生を描くと。製作事情としては「ボヘミアン‥」と地続きであることは想像がつく。
ロックスター、いやロックに限らない音楽スターの人生を描く映画というのはパターンが決まっていて、下積み→成功→酒色に溺れ→ほどなくクスリに手を出しどん底へ→やっと見つけた真実の愛→復活、という方程式が大体当て嵌まる。この流れのどこかに昔からのバンドメンバーと仲違い、というのが入る。本作もその域を出ない。裏切らない。
冒頭断酒なのかクスリ断ちなのか、そういうセミナーに現れるエルトン・ジョン(タロン・エガートン)の生い立ちの回顧から物語は始まる。音感に優れ、ピアノは天才的だった。しかし彼を押さえつけ続けたのは軍人出身の父親。息子に無関心、私物のレコードに触ると叱りつける。エルトンにとってこの人物が何故にそこまで深くネガティヴな影響を与えたのかは他人には窺い知れない。ともあれゲイであることを自覚、音楽制作のパートナーであるバーニー(ジェイミー"リトル・ダンサー"ベル)に片思い。面白いのはエルトンはあっという間に売れっ子になるのだが、自分が手に入れたい愛に対して、とても臆病であること。父親から否定され続けた存在であったことが影響して、音楽の才能以外の自己評価は低いのだ。このか弱き自己を守るための偽りの自分からの解放がこの後彼自身の生きるテーマであるように描かれる。が、お決まりの酒とクスリ、生きているのが不思議なくらいの猛烈な量だ。そして見る幻影は自分の子供時代。本当にそうならそうなのだろうが、映画的には凡庸。ま、それで色々あったが偽りの自分からの解放を果たしました、というラスト。ところどころ挟まれるミュージカルの群舞は撮り方のせいなのかダンスの質なのか平凡で既視感に溢れ躍動感に欠ける。同じく自己の人生を省みるボブ・フォッシー監督「オール・ザット・ジャズ」('79)は偉大だったとあらためて。
エルトン・ジョン、素晴らしい才能であることは間違いない。長生きして下さい、ってとこか。