映画和日乗

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「ゴッドランド」監督フリーヌル・パルマソン at シネリーブル神戸

GODLAND – New Europe Film Sales

 

 キネマ旬報が月刊化されてから映画鑑賞の手引きの役割が大幅に薄れてしまった。

こういう、接する機会の少ない北欧圏の国の時代劇映画にはある程度手引きが要る場合がある。

なので本作を観終わって久しぶりにパンフレットを購読した。アイスランドデンマークの歴史的な関係、宗教的背景、そして撮影方法を知りたかったからだ。

なるほど19世紀のアイスランドデンマークの属国であった。また、デンマークの国教がプロテスタントのルーテル派であり、憲法も宗教もデンマークからアイスランドにもたらされたことを知る。

だから、本作の主人公、デンマーク人牧師の隠しても隠しきれないアイスランド人への差別意識、特に後半に露わになる暴力的侮蔑が理解出来る。そして差別される側のアイスランド人の心情も。

 さて、それより何より刮目するのは撮影である。

スタンダードサイズの四方の角が丸い。牧師ルーカス(エリオット・クロセット・ホーヴ)がえっちらおっちら担いでいるダゲレオタイプの写真撮影機。

このファインダーを通して観る世界にこの画角が合わせられている。

だから、フレーミングは頑ななまでにフィックスか横移動で、空間の上下にはキャメラは動かない。そしてレンズによるクローズアップは無く、トラックアップが数カットある。このタイミングがまた絶妙なのだ。

圧倒的かつ禍々しいアイスランドの自然を絵画の如く描く。パンフレットによると何と撮影期間は二年。後半に出て来る、殺されたルーカスの愛馬の死体は一年かけて腐敗から白骨化までを定点撮影したとのこと。

 

 かつて「ミッション」('87)でも描かれた18世紀南米での過酷な布教活動と重なるのは、苛烈な自然との戦いが即ち神との対話であるという哲学である。

 

 

しかし本作では殉教精神の厳粛さが表層に過ぎず、そこに啓蒙という名の差別が抜き差し難く内在している点が描かれ、人間臭さが際立つ。

通訳を介してしか会話出来ないデンマーク人牧師、一方デンマーク語を理解しながら決して理解していることを明かさなかったアイスランド人の怨念。

完成したばかりの教会、泣き止まない赤ん坊、犬の吠える声。外に出た牧師はぬかるみに足を取られて泥まみれになる。嗚呼、神は確かにかの君を見ているのだという事か。

佳作、お勧め。