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「聖地には蜘蛛が巣を張る」監督アリ・アッバシ at シネリーブル神戸

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 凝った邦題だが原題は直訳すると「聖なる蜘蛛」、ここでは蜘蛛は娼婦を指す。

忘れ難き「ボーダー 二つの世界」(2019)のアリ・アッバシ監督最新作。

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 女性ばかりを狙うシリアル・キラーものといえば「ダーティハリー」('71)「ゾディアック」(2007)「殺人の追憶」(2003)「チェイサー」(2008)とこれまでも色々あった。それらが皆刑事が犯人を追いかける流れになっていたが、本作では大きく事情が異なる。舞台がイランだからだ。

 監督はイラン出身デンマーク在住、本作の出資の国籍がデンマーク、ドイツ、スウェーデン、フランスとなっていて、欧州のこれらの国がイランという国の人権侵害を重大な問題と捉えている事がうかがえる。

 

イラン、マシュハドが舞台。当然ながら実際のイラン国内での撮影は不可能なのでヨルダンの某地で撮影されたらしい。

 娼婦ばかり狙う連続殺人の始まりは、自宅で化粧をして子供を寝かしつける女のシーンから始まる。マシュハドという街の夜の喧騒はそれだけで禍々しく、女は男に声をかけては「仕事」をこなす。仕事ぶりは殺伐としていて合間に大麻か何かを吸いながらそれでも子供の為に「働く」。そしてバイクで現れた男について行った挙句、殺される。

 この絞殺を執拗に見せるアッバシ監督、この後も繰り返し絞殺を描く。

事件を追うのは警察ではなく女性ジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アブラヒム・ラヒミ)。首都テヘランから来た彼女を巡るこの街の反応がイラン的保守、平たくいえば女性蔑視であり警察官ですら単に性の対象としてしか見ていない。

ラヒミはそれでも強気に彼らを撥ね付けていく。

 

 犯人探しが映画の主眼ではなく、観る側にはそれは早々に判明する。犯人の過去、犯人の現在が描かれ現代イラン社会で珍しい存在ではない人物である事も周知される。

 ラヒミ自らが囮になる事で犯人逮捕へと繋がる事態に発展する。

が、前半で描かれたこの国の甚だしい女性蔑視という「伏線」がこの逮捕後に効いてくる。司法は正常とは言い難く、それに倣うように世情は彼を英雄視する。娼婦を殺すのは街の浄化であるという論調。

 

 犯人の絞首刑もまた執拗に描かれる。イーストウッドが「チェンジリング」(2008)で描いた絞首刑には児童虐待に対する怒りが込められていたように思う。

しかしここでのアッバシ監督の絞殺への拘りには何か別の執着を感じる。

単にイランの女性蔑視や死刑制度への抗議というだけではない、何か窒息死の瞬間への執着である。

 

courrier.jpラストのビデオ映像に背筋も凍る、何とも言えない不快という言葉だけでは片付けられないどす黒い感情が沸き立つ。希望がないのだ。

 

 アリ・アッバシ、「ボーダー ふたつの世界」ではまだ寓話性でくるまれていたヒューマニズムへの疑義を本作で確立し、被害者加害者共に国家=宗教に殺されるという事とはどいういことか、目を見開いて見ろと突き付けてくる。

 

 本作は実際に起きた連続殺人事件がもとになっているが、こちら↓は同じ事件を扱ったイラン製のドキュメンタリー。閲覧注意。

وعنکبوت آمد؛ درباره سعید حنایی And Along Came a Spider documentary about an Iranian serial killer - YouTube