↑不親切な日本版サイト、スタッフのキャリアがまるで分からない。
監督のパク・ドンフンは脚本家出身、本作が監督デビュー作らしい。
が、本作の脚本は別人のイ・ジョンエ。数学の知識が必要なこの脚本をどうやって書いたのか知りたいと思って検索するとこんな記事↓
この記事によってより深く本作を理解できるだろう。なんとイ・ジョンエ氏は元新聞記者でファンドマネージャー。つまり映画畑ではないということ。
証券取引での数学的応用経験があって、数学者に興味を持ったと。本作の脱北数学者には複数のモデルがいるが、中でも1950年代、韓国からカナダへ留学、元々の出身である北朝鮮に行った為に韓国から入国拒否されたある数学者の存在が大きいようだ。
数学、というのはこれまでも題材として映画に取り上げられる事があったが、公式、数式によって一点の矛盾もない理論が確立する瞬間の「美」がそこにある。
本作でもある公式に「美しい」と打ち震える数学者ハクソン(チェ・ミンシク)の恍惚が印象的だ。
数学者ハクソンは北朝鮮から韓国に亡命、数学の知識を生かせずに私立高校の警備員をやっているというのは「仕掛け」として面白い。その私立高校は超エリート校、落ちこぼれで特に数学が苦手なジウ(キム・ドンフィ)がハクソンと出会う事により、数学の成り立ち、数式の美しさに目覚める。「家族ゲーム」('83)の劣等生と家庭教師、「ベスト・キッド」('84)のいじめられっ子とミヤギ先生を彷彿とさせる。そういえば「ベスト・キッド」の少年も本作のジウと同じ母子家庭だった。
一方、ハクソンにも悲しい過去に由来する心の傷があり、それはここでは伏せておくがそれ故のジウへの格別の想いがある。
ハクソンは生徒達から「人民軍」と渾名されているが北朝鮮での兵役経験は無かったと言う。よほどの特権階級だった事が分かる。韓国での警備員生活の方が質素なのだ。
そしてジウの担任教師、ジウの事が好きな女の子の通う塾がストーリーを動かして行く。ハクソンとジウが黒板に綴る数式が裏側から透けて見える仮構性は楽しくも美しい。
クライマックス、演壇に立つハクソンは言う。「自由な学問を求めて北朝鮮から逃げて来たのに、ここ韓国では学問は就職の為のものになっていた」
そっくりそのまま、韓国の海を隔ててこちら側の国の学校教育にも当て嵌まる。
純粋なアカデミズムへの希望を感じさせるラストシーンには素直に感動した。
ところどころベタな展開だが、脚本の巧さで見せ切る。
佳作。お勧め。