35mmフィルム撮影。曇天のヘルシンキ、男と女。相変わらずのぶっきらぼうで無愛想、棒読みの台詞とカウリスマキ・スタイルは頑迷だ。
勿論その色使い(赤、黄色、緑)も含めて小津由来である。これは先のヴェンダース「PERFECT DAYS」と同じく、2023年の現代に旧い時代の生活スタイルを墨守する事で映画の持つ永遠性を際立てる手法。小津が頑迷なばかりに己のスタイルを貫き通すことで、普遍的諸行無常という物理的矛盾をフィルムの中に留め置いた事に由来しているのは自明だろう。それこそが映画であると。
どの家にもテレビはなく、ラジオを聴いているという戦前かというようなライフスタイルだが流れてくるニュースは現在のウクライナ紛争で、それを聴いている労働者たるアンサ(アルマ・ポウスティ)はロシアの横暴に憤慨する。
またアル中失業者のホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)と初デートで観る映画はジャームッシュ「デッド・ドント・ダイ」(2019)。が、同時上映がブレッソンの「ラルジャン」('83)という時代性の無化は徹底している。
テレビも携帯電話もなく、電話番号を書いたメモを失うともう会えない、といった現代にはあり得ない生活様式を淡々と描く事によって、市井の人々の不器用な恋情が愛という普遍性を纏う。
日々移ろう時代(ウクライナ紛争の戦況、労働者の失業)を描きながらフィンランド人の対ロシアへの憎悪と、貧しくも支え合う男女といういつの時代も変わらない永遠の法則が同居する。
ラストはついチャップリン、と告白してしまっている「モダンタイムス」('36)へのオマージュ。ささやかな希望。
カウリスマキとヴェンダースが同時期に小津への飽くなき追慕を示したのは純然たる映画への回帰願望と、諍いと競争に疲れた現代への啓示のような気がしてならない。
正月明けの元町映画館は満員札止め。
震災と飛行機事故の映像に疲れた善男善女が心の癒しを求めて集ったか。佳作、お勧め。