映画和日乗

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「ぺトルーニャに祝福を」監督テオナ・ストゥカル・ミテフスカ at 宝塚シネピピア

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 2019年度ベルリン国際映画祭で2冠。

 まず、北マケドニアとは何処。

ja.wikipedia.org  なるほど1990年独立か。

 本作では荒涼としたうら寂しさが漂った街並みが映し出されている。

 大学で歴史を学んだというペトルーニャ(ソリツァ・ヌシェヴァ)は職なし、引きこもり気味32歳。

 母親は何かとまとわりついて来る共依存の気が強い。

 父親は足に障害があるようで恐らくは無職だろう。一体どうやって生計を立てている一家なのか分からないが町全体の貧しさは痛いほど伝わって来る。

 ぺトルーニャは縫製工場の就職面接で面接官に膝を触られながら「そそられねぇ」と罵倒される。セクハラ面接、どこの国も同じだ。

 帰路、すれ違う裸の男達。彼等の行き先は川で、どうやら男衆の祭りのようだ。日本にもよくある女人禁制の祭り。

 公現祭という本当にある祭りらしい。ギリシャ正教か。

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 ぺトルーニャ、自棄のやんぱちで川に飛び込む。どん詰まりの人生の自棄のやんぱち。

川底で掴んだ木製の十字架が騒動を巻き起こす。

 剥き出しのミソジニー北マケドニアは未知の国なれど、Twitterを眺めれば日本も変わらない女性嫌悪のメンテリティが溢れている。

 即座に思い出したのが2018年のこの事件だ。

www.youtube.com  ぺトルーニャは警察に逮捕されないのに拘束される。

彼女は自己顕示欲満々の女性のテレビレポーターからのインタビューも拒否、徹底抗戦に出る。

和を乱す者への田舎特有の陰湿な攻撃。これも万国共通なのか、胸に迫るものがある。

細やかな未来の幸せを望む女性と、因習にしがみつかないと自らの存在意義を見出せない男達の対比。いるよなぁニッポン大好きが存在意義の連中。

無責任で曖昧な態度を取る司教もまた、どこにでもいる汝の隣人である。

 警察署の取り調べ室のレイアウトのシュール。そそられねぇと罵られた女が闘うことで美しくなったことがジャングルのような風景で顕在化する。

 まる一昼夜拘束されるぺトルーニャだが結局法的には何の落ち度もないという決裁。

ラストは拍子抜けするも恋は因習もジェンダーをも超える、か。

 その後祭りは改革されたのだろうか?