映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「ラスト・ムービースター」監督アダム・リフキン at 新宿シネマカリテ

lastmoviestar.com   公開中の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のディカプリオが演じたTV西部劇スターはバート・レイノルズがモデルだったらしい。マカロニ・ウェスタンで成功して凱旋帰国したクリント・イーストウッドの後追いのようにしてイタリアに渡ったレイノルズ、かの映画のディカプリオもイタリアに渡ってマカロニに出演するシークエンスがあった。のちに監督として功成り名遂げるイーストウッドだが、レイノルズも数本監督をしている。しかしいずれも評価は低く、はっきり言って失敗といえよう。果たしてレイノルズはイーストウッドを意識していたのだろうか。この二人は1本だけ「シティ・ヒート」('84)で共演している。ダメダメな映画だったが、レイノルズがイーストウッドと「並んだ」唯一の作品ではある。さて、本作「ラスト・ムービースター」、レイノルズ本人に限りなく近いヴィック・エドワーズという元映画スターが主人公。彼はロバート・デ・ニーロイーストウッドも受けたというナッシュビルの映画祭の授賞式に招待される。日本語字幕では分からないが、ヴィックはデ・ニーロはデ・ニーロ、ジャック・ニコルソンはニコルソンと言うが、イーストウッドだけは「クリント」と呼ぶのだ。意識していたんだろうなぁやっぱり。

 ナッシュビルの映画祭は映画マニアの手作り映画祭でヴィックは待遇に幻滅するが、思い直してジャンキーな女運転手と共に自分の生い立ちを辿る旅に出る。この旅の先々でヴィックの出た過去の作品という体で当時のフィルムに出ている絶頂期のレイノルズに画面の中に入って今のヴィックが語りかけるという幻想が挟み込まれる。「トランザム7000」('77)や「脱出」('72)の彼は陽気で元気いっぱいである。40年後のことなど頭の片隅にもなかったであろう。この映画テータベース上では"Dog Year"というもう一つのタイトルを持っていて、想像するにこちらの方が原題で、地味な印象を避ける為に"The Last Movie Star"と銘打って公開されたようだ。そう、ヴィックにとってハリウッドの栄光はまさしくDog Yearであったのであろう。40数年は7で割ったら6年だ。6年なんてほんの数年前、な筈なのに。プライドの高い彼の、こんな筈ではなかったというその悲哀が窪んだ眼窩に滲む。

 それでも故郷の人々は彼の過去の栄光を讃えてくれる。老舗のホテルは最上級スィートの部屋を空けてくれた。別れた最初の妻とも再会出来た。老俳優はやや元気を取り戻す。生きてりゃまだ良い事もある、と。

 演出は劇伴音楽の使い方も含めベタベタだ。ヒネリがある訳ではなくヴィックが劇中で語る「私の映画は始まったと同時に結末が読めるようなものばかりだ」という言葉が当てはまる。イーストウッドの「グラン・トリノ」('08)「運び屋」('18)に比べるとユルい。しかし事実上の遺作とはなってはいない(レイノルズはこの後まだ数本出演作あり'18年死去)ものの、この軽さと楽しさはバート・レイノルズらしさの象徴だろう。

「雁の寺」監督・川島雄三 at 京都文化会館フィルムシアター

www.bunpaku.or.jp  1962年大映。恥ずかしながら初見。川島・若尾文子コンビ「女は二度生まれる」(大映東京)の翌年の作品。でこちらは大映京都、舞台も当然京都の禅寺。フィルムの状態は良くない、特にラストの褐色。昨年4Kデジタルレストア版が出来ているらしいので機会があれば色彩を確かめたい。

 エッジの利きまくったルック、歯切れの良いカッティング。惚れ惚れする。禅寺にやって来た若尾文子を出迎える肥担桶を運ぶ修行僧慈念(高見国一)のいでたち、目つき。これだけでこの物語は天地の如く離れている階層を巡る相克を綴るであろうことが予見できる。ヒッチコックは殺意を巡るサスペンスの中に自らの性癖を潜ませたが、ここでの川島雄三はその逆。剥き出しの性欲を巡るサスペンス、見られてしまうのではというサスペンスは実は見せているのだといういやらしさ、己の本性を悟られまいとする慈念、ひたすら硯で墨を擦るその手の動きは自慰のメタファーである、圧巻の巧さ。

 藤村の「破戒」の如き出自を隠す慈念、一方文字通り破戒を恥とも思わない、むしろ開き直っている禅寺の僧慈海(三島雅夫)、その同僚僧雪洲(山茶花究)。煩悩を巡る建前と本音を見せつける。

 そして小沢昭一の登場によって川島雄三たるハイパーポップな世界は完成する。堪能した、傑作。

 

 

 

「藍色少年少女」監督・倉田健次 at シアターセブン

 国際ファッション専門職大学大阪キャンパスで講義。

 「みとりし」上映中の第七藝術劇場へ。10時の回の上映直後に間に合って、お客さんの顔を見届ける。知り合いが二人。いずれも次回作の関係者で、この映画を観て安心してもらえたようだ。ナナゲイの階下シアターセブンへ。

fujino-kidstheater.net

 既に2013年に完成していたが劇場公開は今年となった。それまでは各地で自主上映していた本作。ノンスター、2時間を超える尺、である。私的な意見としてノンスターはともかく尺に関して言えば、切れる。2時間以内にすることは不可能ではないような気がする。

 ベースにあるのはチルチルミチル「青い鳥」の物語で、大人にとってはルーティーンな暑い季節だが子供にとっては長い人生の大切な一時期、そんなひと夏の話しだ。主役は一人の少年だが、彼は何でもかんでも引き受ける。結果夏の終わりのある日に全ての引き受け事が集中して奔走する。子供の走る姿を捉えたいのはわかるが無理筋だ。一方、ふたりの人物が延々と説明的なことを語るシーンが多いのは非映画的。画に出来ないのが製作費のせいであることは同情するがあまりに繰り返されると睡魔が隙を突く。

 これは好みの問題だが、地方の田舎の町を描いているのに子供達の言葉遣いが都会のチンピラのような言葉遣いなのが気になって仕方がなかった。方言にしないとしても、普遍的な話し方で良かったのではないか。ミチル(広澤草)が慕う先生と称される人物は一体何者?

 

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」監督クエンティン・タランティーノ at 109シネマズHAT神戸

https://www.onceuponatimemag.com/

 タランティーノ最新作は1969年のハリウッドが舞台。撮影所が映画よりテレビドラマ製作の比率が高い時代。20世紀フォックスの「トラ!トラ!トラ!」('70)の看板が見える。実在した映画、実在した映画人達に混じって架空の二人、リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)とその影武者的スタントマン、クリフ・ブース(ブラッド・ピット)の日々を丁寧な描写、というか意図的にどうということのない時間経過を綴って行く。クリフが延々と車を運転する。その先に何がある訳でもなく、ただ帰宅する。しかし、その道中の1969年という時代の再現ぶりに凝る。そしてタランティーノらしい、「もしも〇〇が△△だったら」の連続。もしもクリフがブルース・リーと闘ったら。もしもリックがマックイーンの代わりに「大脱走」('63)に出演していたら。もしもリックがセルジオ・コルブッチ監督のマカロニウェスタンに出演したら。

 そして極め付けはもしもリックがロマン・ポランスキー監督の隣の家に住んでいたら。ポランスキーの当時の妻だったシャロン・テート(マーゴット・ロビー)のイノセントぶりもタランティーノは愛でるように描く。その先に忌まわしいチャールズ・マンソン事件が起きたかと思うといたたまれない。が、映画はパラレル・ワールド的展開となり、かの事件は漫画的だが平和的な終焉を迎える。

 テレビドラマ優勢、ロケ中心のニューシネマの時代、大作はまだ当時黒澤明が監督するはずたった「トラ!トラ!トラ!」。ハリウッドの現代史の中では撮影所が不況とされる時代、だがマンソン事件を境目とするならばそれはまだ牧歌的な時代だった、というのがタランティーノのこの結末なのでは、と。スピルバーグの登場とコッポラ、フリードキンの隆盛は'70年代からである。鮫とマフィアと悪魔祓いというショッカーの時代以前。

 何故かしみじみと良い気分に浸れる、映画的教養が問われる佳作。