映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「希望の灯り」監督トーマス・ステューバー at シネリーブル梅田

kibou-akari.ayapro.ne.jp  ここが旧東ドイツの一地域、とは当初分からないがネイティブなドイツ系の人には言葉と空気感でそれは伝わるのであろう。後半になって、ある男によって語られる東ドイツ時代の「輝き」によって、国民の生活を物心両面で抑圧していた共産東ドイツ、という我々が安易に抱いているイメージはあっさりと覆されてしまう。

 冒頭、フィックスのロングショットで示される巨大なスーパーマーケットに「美しき青きドナウ」が重ねられる。この映画には劇伴が無く、既成曲しか使われない。クラシック、ポップス、ブルースという脈絡の無さだが登場人物の置かれた立場と心情を如実に表している絶妙ぶりだ。同じやり方をするスタンリー・キューブリックを意識しているのは冒頭の曲でも明らかで(尤も、キューブリックはもっとシニカルな使い方をするが)、演出にはアキ・カウリスマキジャック・タチの影響も感じる。

 登場人物は皆貧しそうで、消費期限の切れた廃棄食品を貪り食べるシーンもある。一方で他者への思いやりの気持ちに溢れた優しさ。訳ありで入社したことが一目瞭然の主人公の若者クリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)に何くれとなく面倒を見て仕事を覚えさせる上司ブルーノ(ペーター・クルト)。想像するにそれは東ドイツ時代の「庶民の生き方」なのだろう。競争社会、効率主義ではない事はこのスーパーマーケットの職場に於いてもあの時代の残滓が見受けられる。そして誰もが孤独である。子供がいる夫婦の家庭、は登場しない。クリスマスなのに家に帰らず職員だけでつましい飲み会を開く。

 クリスティアンの職場でのささやかな恋の微笑ましさ、不意にやって来る昔の不良仲間の凶々しさ。更には好きな女性の家に躊躇なく忍び込む。行動と出来事から彼の来し方が炙り出される演出は見事だ。

 しつこく繰り返されるスーパーマーケットでの作業のルーティーン、邦題タイトルは何だかカウリスマキの映画と取り違えそうな印象だが、ラストに至ってそれでも人はここで生きていかなければならない、でも生きてりゃいいさ、という気にさせてくれる。

 佳作、お勧め。

「轢き逃げ-最高の最悪な日-」監督・水谷豊 at 109シネマズHAT神戸

www.hikinige-movie.com   水谷豊監督第二作はサスペンス・ミステリー。途中で「真相」が見えて来るストーリーなので詳細は記せないが、ヒッチコックの「サイコ」('60)はヒントになっているだろうと思われる。

 神戸の街を俯瞰するドローン撮影が下降して一台の青いジープを追う。何とウチの近所、私のウォーキングコースをそのままなぞるように進んでいくのでキャメラが何処へ行くのか大体分かるという稀有な映像体験。そして青年二人(中山麻聖石田法嗣)を乗せたそのジープが若い女性を轢いてしまう。誰も見ていない、と逃げる二人。この二人は会社の同僚で学生時代からの仲間らしい。急いでいた先は結婚式の打ち合わせ。待っているフィアンセに妙に謙る婚約者、そして披露宴の司会をつとめるという友人。「身分違い」というクラシックな関係性がここで示される。それは良いとして、この二人の男の関係が高校時代のヒエラルキーで語られるのは腑に落ちない。やはりゲイであるという事の方が自然であろう。水谷監督の演出もそれをプンプン匂わせはするが、はっきりは描かない。ひと昔前のハリウッド映画のコードのようだ。二人の勤める会社内での露骨に暴力的な派閥争いもえらく古めかしいが、事ほど左様に水谷監督は映画全体のトーンとして今日的であることを拒否している。轢き逃げ犯として逮捕される婚約者に献身的について行く女性の身振り、被害者が遺した日記の文体もまたそうだ。一方で画作りのセンスは秀逸。被害者の親夫婦(水谷豊と壇ふみ)の住んでいる家の窓外にケーブルカー(摩耶ケーブルだろう)が行き来する画、中山麻聖の車、衣装、自宅のインテリアに至るまでブルーで統一する事で性格付けをする演出、石田法嗣と格闘する水谷を傍観する人々の佇まいなど決して退屈させない。

 「サイコ」が近親相姦を匂わせていた事で衝撃が深まっていた事を思うと、やはり轢き逃げ犯二人の男の関係が最後まで引っ掛かった。娘が死んでも決して泣かず、微笑みさえたたえていた壇ふみの、堪えっぷり、そしてそれが決壊する瞬間が素晴らしい。

 

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「記者たち〜衝撃と畏怖の真実〜」監督ロブ・ライナー at TOHOシネマズ シャンテ

www.shockandawemovie.com  「LBJ」('17)に続き事実に基づいたアメリカの政治史を描くロブ・ライナー。先の「バイス」で描かれていた政治家、国家の陰謀をジャーナリスト側から描く。9.11以後の露骨な世論誘導、報道規制は「バイス」でチェイニーとラムズフェルド一派によって恣意的に行われたことがよく分かったが、一社だけそれに抗ったナイトリッダー社の記者たちの物語。ロブ・ライナー監督は編集長役も兼任、記者たちを発奮させる役どころ。ライナー監督、ランディ(ウディ・ハレルソン)とストローベル(ジェームズ・マースデン)二人の記者の会話の切り返し、新聞社と取材先の行ったり来たりを同じようなリズムで愚直なまでに繰り返す演出。そこに差し挟まれる2002年当時のニュース映像はあまり新味がない。「バイス」を先に見るか後に見るかで印象は違うにせよ、それでもさほどの新事実はない。国家的犯罪の犯人はジョージ・W・ブッシュという阿呆とそれを良いことに好き勝手したチェイニーとラムズフェルド、それはもう充分よく分かっている。真実の報道が果たして国民に届いていたのか、結果的には届いていなかった。それは何故なのかそこをこそ見たいと思った。政府の御用メディアを鵜呑みにする、イラクアフガニスタンも果たして区別がついていたかどうかも怪しい大衆そのものの単純な情動の方が恐ろしい。

 米国人というのは権力者であろうが市井の人であろうが演説が上手い。この映画に出て来るいくつかの演説はそれを物語っている。若き傷痍軍人の数字についての演説、編集長の正義についての演説、テレビ画面の中のブッシュの開戦の演説。言葉を伝える大切さ、新聞記事の文字も同じくだ。嘘を伝えることは容易く、真実を伝えることは難しい。

 新聞社に突如ロボットウォークで現れるギャロウェイ(トミー・リー・ジョーンズ)が良い。このギャロウェイ、胸につけているのは第1騎兵大隊の徽章。「地獄の黙示録」('79)の冒頭に出てくるヘリコプターの一群がこの大隊。ギャロウェイという人、検索によると第1騎兵大隊に記者として従軍、その体験を基に書いたのが「ワンス・アンド・フォーエバー」('02)の原作とのこと。なるほどそれでこの映画のラストシーンに繋がるのかと合点が行く。もって他山の石とせよ、我が国のメディアもまた危機的現状である。

 

 

「ハンターキラー 潜航せよ」監督ドノバン・マーシュ at 109シネマズHAT神戸

hunterkiller.movie   脚本に「ロボコップ」('87)のプロデューサーの人が入っているが、監督始め余り知らないスタッフ、キャストもさほど派手ではなく、製作国は英国となっている。エンドクレジットには中国系の会社と名前があり資本の一部が入っている模様。

 先の大戦でドイツ海軍Uボートと戦う英米艦隊や東西冷戦時代の米ソのつばぜり合いなど潜水艦をモチーフとしたアクション映画は多い。が、現在進行形の世界情勢が舞台の今作はひと捻り、いや奇想天外なロシアで軍部のクーデターが起きて大統領が誘拐されることに端を発する。米露が当初は互いに誤解しあってすわ第三次世界大戦か、というのはかつて「博士の異常な愛情」('64)でシニカルに描かれていたが、今作は同じく東西冷戦時の一触即発を描いた「五月の七日間」('64)が元ネタのような気がする。

 潜水艦もロシア艦隊もそれぞれちゃんとしたセット、地上戦も現代兵器の性能を見せつけるアクション、今の魚雷はあんな蛇みたいにクネクネと海中を走り回るんだな。ランチャー付きライフルは正確無比に相手を粉微塵にするんだな、となかなか見応えはある。この手のアクションではキレ味の点ではピーター・バーグ監督の方に一日の長ありだが、当マーシュ監督も頑張っている。ただ、ロシア側のキャスティングがどうも納得いかないというか、ロシア大統領は砲丸投げの選手みたいだし、クーデターの首謀者たる国防長官も人望がありそうに無い御面相だ。米潜水艦に投降する海軍将校だけが軍人らしく威厳たっぷりで先の国防相とその風貌の落差でストーリーが読めてしまう。現実のロシア首脳プーチン氏が頭脳も肉体もタフネスそのものに見えるのでどうしても見劣りする。「バイス」ほどじゃないにせよ、誰かいなかったものか。

 しかしこれ、現実にもっと近いスリルを描くなら、やっぱり米国の相手は中国だろう、冒頭に書いた理由でそれは無理と承知だが。

 

五月の七日間 [DVD]

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「ちいさな独裁者」<本国ドイツ・モノクロ版>監督ロベルト・シュヴェンケ at 淀川文化創造館シアターセブン

www.filmgalerie451.de   原題は大尉、英語ではCaptain。日本人観客のレベルの低さに合わせて、この手のものにはセガール沈黙シリーズ並みに「ヒトラーの」と付けたがる配給会社だが流石にユダヤ人迫害やヒトラーの暴虐がテーマではない本作にはそれは付けられなかったものの「独裁者」とまあ身も蓋もないタイトル、おまけにオリジナル原板がモノクロなのに日本だけカラーで公開というガラパゴスぶり。

note.muここにはっきり配給会社から「日本の観客向け」にモノクロを避けたと回答されている。つくづく文化民度の低い国だ。それがバレると小規模でオリジナル版を公開する、と。ついでにいうと裸で逃げ惑うドイツ兵と娼婦の股間にぼかしを入れている。つまりこれとてオリジナルを損なっているのだ。アホ。

 さて、そんな国との矜恃の違いがあからさまなドイツ、先の大戦末期に起きた実話の映画化。ドイツ国防軍ヘロルト上等兵(マックス・フーバッヒャー)は本隊から脱走、同志と共に農家で略奪しようとするも同志は刺殺される。ちゃんと狙いでモノクロで撮られていることは一目瞭然、アバンタイトル文字は真紅である。ヘロルトは空軍将校の軍服を手に入れたところ、また別の下士官と遭遇する。が、この下士官がいとも簡単にヘロルトを大尉と信じたことから始まる地獄行。ドイツ人が描くドイツ軍、というとヒロイックな「Uボート」('81)があったが、シュヴェンケ監督はヘロルトを咄嗟の嘘がうまい小物の狡い奴として描き、彼が出会うドイツ将校達を誰一人ヘロルトの本性を見破れない凡人として描く。ヘロルトは桃太郎よろしく行く先々で出くわす下士官や一兵卒と合流しては家来のように従えて、やがて脱走兵や略奪者を収容する施設に辿り着く。彼はヒトラー直轄の将校と自称、いとも簡単にこの収容所の実権を掌握してしまう。終戦間際のドサクサ、事なかれ主義と責任回避の判断停止が収容者の大虐殺へと向かわせる。凡庸な権力者、それに従い威を借る者、法を楯に取るも「上からの指示」で目を瞑る者、この映画を目にする者が、私はそのどれでもないと果たして言い切れるか。そして殺される側もまた仲間を殺すことで生き残ろうとする者、それができずに自殺する者、だだ黙って死んで行く者。私達は一体そのどれなのか。忌まわしい出来事を丁寧に描きつつ、問いかけてくるのは「あなたもまた同じ人間だ、違うとは言わせない」という事だ。

 エンドロール、現代に現れたヘロルト一行が街でくつろぐ人々から略奪を繰り返す。つい70年ほど前同じ場所で起きた出来事なのです、笑っちゃうでしょ、でも目をそむけないでと言わんばかりだ。ベルリンに行くとあちこちにナチス時代の蛮行を示す建造物が写真や解説入りで残されている。遺産を破壊してひたすらに醜悪な物体を建て続ける土建優先、芸術を「バカには伝わらないから」と改変したりぼかしを入れる国との違いである。

 佳作、お勧め。

「バイス」監督アダム・マッケイ at TOHOシネマズ西宮OS

www.vice.movie  オープニングは9.11のテロ、その時のホワイトハウスの緊迫、がそこに当時の大統領ジョージ・W・ブッシュ(スティーブ・カレル、そっくり!)はいない。副大統領チェイニー(化けに化けたクリスチャン・ベール)と隣席の弁護士が何やら囁き合う。そこから一気に1963年に戻り、アル中のロクデナシの青年チェイニーの立身出世物語が始まる。北野武の「アウトレイジ」が全員悪人、ならケネディ亡き後の米国政界、とりわけ共和党(いや、そうとも限らないか)中枢は全員凡人だ。凡人が道を誤り悪人となって行く様が克明に描かれる。チェイニーはラムズフェルド(サム・ロックウェル)の腰巾着、ブッシュJr.に至ってはただのアホとして描かれる。謎はチェイニーの妻の猛妻ぶり。弁が立つ、頼りない夫を叱咤激励する。何故にこの凡庸な男にひたすらついて行ったのか、その理由は描かれない。

 スピルバーグが自らの映画文法、それはクラシカルにして手堅く且つ流麗な映画文法で描いたニクソン断罪とは正反対な、殆ど台詞で説明してしまう、途中で一旦エンドロールまで出す、ラストのエンドロールの後もまた「いま現在のアメリカ」を描く見せ方はマイケル・ムーアのドラマ版だ。そして夥しい数の無辜の民の戦争犠牲者と、心臓移植で生き永らえるチェイニーの対比を一つの切り取られた心臓のアップで皮肉っている。

 それにしても。この映画は直接選挙制度がもたらす国家的、世界的ディザスターの本質には踏み込んでいない。人種問題、貧富格差、銃規制などいくつかのフッテージで示されてはいるがそれでもこの国が持ち堪えている理由は何故なのか。

 翻って直接選挙ではないはずの我が国の現在がそっくりなのは嗤えないブラックコメディなのだ。議会軽視の政治中枢、メディア規制、ヤンキー上等の反知性。ラムズフェルドの品性下劣は、福岡のあの人に重なって見えて仕方がなかった。