映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「嘆きの河の女たち」監督シェロン・ダヨック at ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13

https://www.facebook.com/WomenOfTheWeepingRiver/

 引き続きアジアフォーカス・福岡国際映画祭の一環で鑑賞。

 フィリピン映画を観るのは初めて。舞台はミンダナオ島モロ。この一帯は敬虔なイスラム教地区のようだ。コーランの奇跡を滔々と述べる人々。そんな中、土地を巡って二つの家族が啀み合い、殺人に至る。殺人事件として何らかの捜査当局の動きがあるのかと思うのが自然だが、政府軍とこのイスラム勢力は対立していて警察の介入が見当たらない。代わりに男達は勝手に武装して復讐に燃える。子供も容赦無く殺される。子供が子供を殺す衝撃。女達、母達は長老たる祖父を怖れ意見出来ないが際限なき復讐の戦いを望んではいない。哀しみを押し殺し河に揺蕩いながら死んでしまった夫と対話する女達。救いの無い物語を時に死者の幻影を交えて詩的な世界に転化している。さて、ではどうすれば良いのかという政治的なアプローチは無いまま凄惨なショットで映画は終わる。それは、神への祈りだけではそれは及ばないのだ、とも読み取れた。

 

「大仏+」監督・黃信堯 at ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13

www.imdb.com

 アジアフォーカス・福岡国際映画祭の一環で鑑賞。

 昨年度台湾金馬奨5冠に輝く。舞台は現代の台中。巨大な仏像を作る会社の夜間管理人とその友達の廃品回収業の男が、仏像制作会社の社長のドライブレコーダーを盗み見してしまったことから起こる騒動。これを分かりやすいドタバタで見せなかったところが秀逸。全編モノクロでドライブレコーダーの映像だけがカラー。貧困層の、常に曇天か驟雨の日常がモノクロで、車中で金満社長が美女と睦む世界がカラーという天地の開き。台湾の不況、就職難、地方政治家の腐敗、宗教家の欺瞞をシニカルに描く。これまでの叙情的か青春キラキラな台湾映画と一線を画すると同時に、現状を知らなかった我々ただの台湾映画好きに冷や水を浴びせる。これが台湾だ、と。大陸中国との対峙がじわじわと庶民生活を苦境に追い込んでいると見るのは穿ち過ぎか。

 しかしそれでも詩的で霊的なエンディングに台湾映画の豊穣を羨む。あの死体はどこに行ったのだろう?

 

有無 (片尾曲)

有無 (片尾曲)

  • provided courtesy of iTunes

 

「愛しのアイリーン」監督・吉田恵輔 at TOHOシネマズ西宮OS

irene-movie.jp原作は未読。

主人公岩男(安田顕)の父親の葬儀に、暫く行方不明だった岩男がフィリピン人の女アイリーンを連れて戻って来る。親族の差別的な視線や言葉をわざと増長させるかのように騒ぎまくる女にそんな訳ないだろうと幻滅する。葬式の空気さえ読めないのがフィリピーナなのかそれとも学習障害的なキャラクターなのか。その後の展開からするとそうでもない。異国人を描く時、「知らない故に」、想像が足りない誤読をしている。ハリウッド映画にしばしば出てくる誤読された日本人像に幻滅するのと同じだ。

 アイリーンをさらったヤクザ(伊勢谷友介)を追う岩男、都合よく道が通行止め。降りるヤクザ、もみ合う二人、ヤクザライフルで撃たれる。これヤクザライフルで撃たれる、にはどうしたらいいかという逆算脚本。展開がこの後ほとんどそうなって行き、雪の楢山節考の画から逆算して構成されているので話が長い(137分)。雪山の一角に捨て置かれた義母に妊娠を告げるアイリーン、おかしいやろ雪山に行く前に言うやろ普通。やりたかったんだろうなぁ楢山。セックス中毒のような男、優しく振る舞えず殴る蹴る、それが木の皮にアイリーン愛してると彫り続けることで心情吐露。幼いよ。曽根中生神代辰巳田中登大人だった、大人の国だった。河井若葉好演。

「鬼の詩」監督・村野鐡太郎 at シネヌーヴォ

 

鬼の詩

鬼の詩

 

  1975年鐡プロダクション=ATG。フィルムの褐色が酷く、コマも所々飛ぶような状態のプリント。

 桂福団治師、露乃五郎師は現在でも活躍されているので43年前のお姿は感慨深い。

先日私の作品に出て貰った片桐夕子さんの神々しさも更に感慨深い。芸は技巧なのかただの見世物なのかを問う。見世物としてのそれに傾倒して行くことで地獄の底へ自ら進む主人公馬喬。寄席の舞台と自宅の行ったり来たりの場面展開は変化に乏しいものの、後半、求道というよりは狂気に至る過程を描くにはそれもまた一つの方法だったか、と得心。

 

 

「近松門左衛門 鑓の権三」監督・篠田正浩 at 京都文化博物館フィルムシアター

 

あの頃映画 「鑓の権三」 [DVD]

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  1986年表現社=松竹作品。

 プリント状態は良くない。宮川一夫撮影の完全形は想像で補うしかない。

 18世紀時は元禄、剣術よりも茶道が尊ばれる時代、篠田演出は当時の遊びや風俗、祭りを微に入り細に入り見せる。脚本は面白く、笹野権三(郷ひろみ)はさしずめ近松ドンファン。あっちゃこっちゃ女に手を付けるが一切責任を取らない。そんな彼にキリキリと嫉妬する川側(火野正平)が騒動の種を撒き散らし、権三は窮地に追い込まれる。

 不貞の逃避行は溝口健二近松物語」('54)と同じ。女(岩下志麻)が先に胎をくくって開き直るのは近松ものの常道。なるほど参勤交代の副産物は不倫だったのか。着物が分厚いほど、帯が長いほど情欲は深い。

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「儀式」監督・大島渚 at シネヌーヴォ

 

儀式 [DVD]

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  1971年創造社=ATG。

 フィルム上映で観るのは初めて。ニュープリントなのか音声を含め極めて良い状態。大島監督はこの後「夏の妹」で創造社を解散し1976年に「愛のコリーダ」へと突き進む。一作ごとにスタイルを変えて変貌し続ける大島映画だが、この「儀式」こそが大島スタイルのスタンダードであるような気がしてならない。ATGの10周年記念作品としてそれまでの創造社=ATG作品より予算がかけられていることにより、京都の大映撮影所に戸田重昌デザインでセットが組まれた。「愛のコリーダ」が撮影所回帰とも言えるクラシックを感じさせているのに対し、この「儀式」での広大なセットのデザインと撮影はクラシックと前衛のミックスが強い力で表現される。「儀式」あっての「愛のコリーダ」「愛の亡霊」だったのではないか、と想像する。

 '71年の前年に死んだ三島由紀夫を揶揄するかのような登場人物が現れる。結婚式場で警察の武器を使ってのクーデターを目論む旨をアジテートするも、すぐに取り押さえられ、式場の外で事故死する「滑稽」。その結婚式で儀式として「新郎一人」で式を挙げる主人公の「空前の建前主義」。人間の尊厳ある生き方を、共同体の調和という「空前の建前」で蹂躙してきた戦中から、戦後25年経っても変わっていない、変えないこの国のかたちを見事なメタファーで描く。ベルトルッチの「1900年」は1976年か。ラストの幻想のキャッチボール、影響してるように思った。

 

「夜の浜辺でひとり」監督ホン・サンス at シネリーブル神戸

crest-inter.co.jp   2年前サンセバスチャン国際映画祭に参加した折、帰路のパリ行きの飛行機の中でホン・サンス監督と邂逅した。同監督は同映画祭で監督賞を受賞。機内ではお祝いと思しき電話にニコニコと応答していた。パリ到着後、トランジットの間に何故か彼からペコリと会釈された。恐らくソウルに向かうのだろうが、アジア人同士、そして私に映画に関わる人間特有の何かが感じられたのだろうか。私も会釈を返したが、なるほどこういう人が監督賞を取るのだ、と映画を見てもいないのに人柄だけで納得したものだ。

 さて、ようやくホン・サンス監督初体験となったのが今作。

 ワンシーン・ワンカットの人なんだね。エリック・ロメールの韓国版、か。ところどころ謎を撒くのはロメールと酷似しているもロメールは謎を伏線として回収してくれる。この監督はほったらかす。海辺で唐突に男に抱えられて連れ去られるヒロイン。誰だか解らない男が登場人物たちの泊まるホテルの窓を延々拭く。いずれも伏線でもなんでもない。それらが微かに映画的な異空間を形作る楔としてあるだけでそれ以外は延々「彼らの日常」である。登場人物が映画のスタッフと俳優、というホン・サンス監督が晒している日常とみなして良いだろう。後はさぁそこに乗れるかどうか、という気分の問題である。ヨーロッパで評価が高く、本作はドイツロケだし他にフランスとの合作作品もある。後から知ったが監督と本作の主演女優は男女関係があるとのこと。この正直さが魅力なのかも、人柄かやはり。