映画的日乗

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「15年後のラブソング」監督ジェシー・ペレッツ at シネリーブル神戸

www.julietnakedfilm.com ジェシー・ペレッツ監督はミュージシャン出身、'68年生まれということは本作を発表した2018年は50歳だ。このことは本作を語る上で重要なファクターであろう。

 ニック・ホーンヴィの同名小説の映画化。ロンドン郊外のサンドクリフという美しい町が舞台。

こんなところ↓

https://www.visiteastofengland.com/accommodation/the-sandcliff

 町の歴史博物館でアニー(ローズ・バーン)は仲の良いレズビアンの姉と共に働いていて、町長肝煎りの1964年展の準備中。アニーのパートナー、ダンカン(クリス・オダウド)は大学教授だがタッカー・クロウ(イーサン・ホーク)なるロックシンガーの研究家、というかマニア。このタッカーは引退していてもう15年近く活動していない。

 ダンカン主宰のファンサイトを通じて未発表のデモCDが彼の元に届く。狂喜するダンカンだがアニーはこの歌は凡庸だとサイトに書き込む。それを見たタッカー本人からアニーにメールが届く。「君のいう通りだ」。ダンカンは同じ大学の講師と浮気、アニーとの同棲を解消。アニーとメールのやりとりを続けていたタッカーは幼い子供を連れてNYからロンドンにやって来る。アニーはタッカーと待ち合わせをするが来ない。実はタッカーは道中心臓発作を起こして緊急入院。病院に駆けつけるアニー、そこにはタッカーの人生の来し方を物語る様々な"ファミリー"が次々と見舞いにやって来る。両親も子供もいないアニーは"ファミリー"がいるタッカーを羨望の眼差しで見つめる。

 子供っぽいオタクのようなダンカンは子供は要らないと言い、それに同調して来たアニーの15年と、ある女性を妊娠させてしまった事をきっかけにミュージシャンを引退したタッカーの15年。それぞれが間違っていたかも知れない、若さを浪費してしまったのではと振り返る。1964年生まれの私にとっては胸に突き刺さる展開だ。

 人生の選択に後戻りは出来ない事への諦観を滲ませ浮き草のようにアニーの住む町にやって来るタッカー、タッカー本人に会ってしまったダンカンはマニアックな愛を口角泡を飛ばしてぶつける相変わらずの子供っぽさ。これもまた中年の典型のひとつ。アニーの冷たい目線。

 1964年展が開催され、84歳になるという老婆が自分と男友達が写った'64年当時の写真を見て言う。あの時、この男に何も言えなくて、と。あの時、こうしていたらその後の人生は違っていた。誰もが振り返る「あの時」がある。アニーにもタッカーにもある「あの時」「その時」。

 町長に指名されて歌うタッカーはどこか吹っ切れていて、歌わない事への拘りが消えている。それを見ているアニー、15年は物理的に取り返せるものでもない、だがここから変えて行こう、そんなラストのロンドンの街を行くアニーの顔がオープニングと全然違っていて清々しい。ローズ・バーン、素晴らしい役者。そしてタッカーは25年ぶりにアルバムを発表する。今この時の自分を素直に抱えて。

 50歳越えると日々思う事を見せられた感じ。しみじみ佳作、そういう世代にお勧め。