映画的日乗

映画、食、人。西に東に。

「浅田家!」監督・中野量太 at 東宝関西支社試写室

asadake.jp まずこのシンプルなタイトルが良い。最近洋邦問わず内容を説明する副題を付けたがる傾向に辟易している。「ご丁寧」な「低きに流れる」営業戦略は観客のレベルを更に低いところへと落して行くのが歴史の必然である。

 貧すれば鈍する、貧しい製作費の日本映画は畢竟貧しい家庭しか描けない。ネグレクトやらDVやら花盛りで、ただでさえ日常に倦み疲弊している観客が高い入場料を払ってまでそんなものを観るとは思えないのにどんどんつくられるこのパラドキシカル。そんな中本作のような陽気で穏やかな家族像に出会うと地獄で仏の心境である。

 浅田家の写真は既に木村伊兵衛賞受賞時に見ていた。ここにある暢気さと陽気さが今の日本のクリエイションには貴重だ。しかし、素人の一家が照れずに「ある場面」を演じているから面白いのであってそれを映画として手だれの役者が演じると面白味が伝わらない。聡明な中野監督はそんな事は百も承知で写真集「浅田家」が出来るまでを時の流れを説明するかのようにスピーディに「処理」して行く。そして主人公の写真家浅田政志(二宮和也)が個展会場の下見をしている所からじっくりと体温の感じられるドラマを描いて行く。

 その日その時に起きた東日本大震災津波で流された家族写真を丁寧に洗って乾かし、元の持ち主とその親族に届ける。親を失った子、子を失った親。写真を集めてそれぞれの気持ちに誠実に寄り添おうする小学校の先生(菅田将暉)と行動を共にする政志。

 被災地のデザイン、また膨大な写真を揃えた美術(黒川通利)の仕事が目を見張る。

 映画に対して登場人物が皆他人に優しいという事に異を唱える向きがあるが、この映画の心地良さはそこにこそある。貧しい家庭劇で登場人物が皆オツムが悪くて陰惨な結果を招くとそれが格差社会の縮図だと深刻ぶるヒョーロンにはうんざりだ。

 役者は皆良い。役者の表現能力を最大限に引き出せた中野監督には敬服する。

 菅田将暉黒木華の化けっぷりは見もの。私の「みとりし」に出ていた子役の森田夢ちゃんが出ていてニンマリ。10月2日公開。