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「フラッグ・デイ 父を想う日」監督ショーン・ペン at シネリーブル神戸

https://www.imdb.com/title/tt2304637/?ref_=ext_shr_lnk

 ショーン・ペン監督作品は肌に合うというか、アメリカン・ニューシネマのテイストと時に情緒過多な感傷が心地良い。が、前作「ラスト・フェイス」(2016)は未見。

今作「フラッグ・デイ」は初めての主演兼任、どころか娘・息子を実の娘ディランと息子ホッパーが演じる。ボブ・ディラン&デニス・ホッパー。1960年生まれのペン、実子の命名にも主義と指向のブレがない。

 原作のノンフィクションがあるという事は実話。フラッグ・デイ=星条旗記念日は6月14日。

americancenterjapan.com

 16㎜と8㎜のフィルムが夥しく交差する。父ジョン・ヴォーゲルがいつも手にしている8㎜キャメラ、被写体は家族だが主に娘ジェニファーを捉える。その愛情と、ジョンの行動と言葉の影響がジェニファーの人格を形成して行く記録として随所に挟まれる。

 映画で8㎜フィルムが回想として使われる事は珍しくない。過去は甘く、切ない。

解像度の低い8㎜は記録であると同時に映画に於いてはいつも人の過去の記憶である。

 ヴォーゲルの家庭崩壊はジョンの子供っぽい誇大妄想と現実逃避による。もし実際に周りに居たら酷く迷惑な人物である。

 アップショットで切り返す父と娘の対話。感情はフィルムには映らないが、伝える事は出来る。実の親子の体温の伝わるやり取り。嘘まみれの父、娘はそんな父親を断ち切り、堕落から奮起してジャーナリストになる。そこへ懲役を終えて戻って来る父ジョン。最後まで周りに甘え続ける男のひたすらな下降線をショーン・ペンは愛おしげに演じ、自らにキャメラを向けて捉える。

 救いは無い。ニューシネマのヒーローは必ず撃たれるか轢かれるかして死ぬ。「イージー・ライダー」('70)「バニシング・ポイント」('71)「グライド・イン・ブルー」('73)

似たような結末、同じ匂いがする。

 過剰な感傷とニューシネマテイスト。エンドロールに並ぶ夥しい数のプロデューサーの名前は「ショーン、仕方ねぇ、おめえの為ならゼニ出すよ」と集った同志の名前だろうと勝手に想像する。こんな「独りよがり」に大手メジャーが出資する訳ない。

 ブレの無さに涙。傑作。ただ「伝わる」世代を選ぶ映画。IMDbの批評投票点数はえらく低い。わかんねぇのかなぁやっぱり。