本作で水道橋博士が私より二歳上と知る。同世代だ。お笑いならビートたけし、映画なら長谷川和彦に弟子入りしようとしたというのは心情としては通じるものがある。映画の方に行った私から見ても70年代後半から80年代初頭の長谷川和彦はビートたけしと遜色なかった。ただ私は身近な大森一樹に傾倒したというだけだ。
そんな世代論は本作には全く出てこない。2022年の参議院議員選挙に立候補した顛末が綴られる。青柳監督はその風貌や声からして高見からの視線は感じられず、同じく選挙を追った大島新監督のように主体性を持って斬り込む姿勢も見せない。
しばしば挟まるドットゴシックのスーパーやひと昔前のテレビゲームのような音楽は「桃太郎伝説」由来という事も本作で知る。
選挙戦が始まり、当初は町山智浩のアドバイスでマムちゃんこと毒蝮三太夫風の「親しみやすさ」を実践するも、なかなか埒があかず次に選挙ディレクターが登場、プロテクニックを指南する。この辺りから鬱になるのも宜なるかな、と感じさせる。
真っ当な言論は要らない、ひたすらな名前の連呼という事に「正常な神経ならば」耐えられなくなるのかも知れない。
水道橋博士は当選が決まっても大騒ぎするでなく、むしろ過労が滲む表情で、既に「兆候」が顕れているかのようだ。当初の義憤から来るモチベーションはまとわりつくような精神的重圧へと変化して行く。
そう、正常だからこそむしろ鬱になるのは当たり前の世界、それがニッポンの選挙だ。下手すりゃ銃撃されるんだから。
それでも議員を目指すということは単にタフというよりは狂気を孕んでいなければならないということをこの映画は教えてくれる。
ラスト、深夜のウーバーイーツ、叱られてヘコみつつ、その苦笑が最後の最後にまともな笑顔だった。